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ケンヂのきもち

まずは自分を知らなきゃね~

以前のブログから ⑨2010年6月4日 自然のバランス

自然のバランス
話は色々飛びますが、気にしないでください~
あくまでもわたしの考えなので、気に障る事が書いてあってもお許しを!
野菜におきまして、通常の栽培方法である慣行栽培というものがあります。



スーパーなんかで売られている野菜の9割以上はそういった栽培方法でつくられたものです。(もちろん例外もある)


慣行農のレシピはJAや県の農政課に行けば手に入ります。

それらの栽培方法の多くは、土壌殺菌から始まり、化学合成肥料の分量、化学農薬の散布まで書かれていて



多くの農家さんはお国の指示に従い、当たり前に栽培を行います。誰も間違っているとは思いません。


一般の消費者の皆さんも、当たり前にそれらを食べ(安いですし)ます。

先日、もと農家の友人(自然農)に聞いた話ですが、「化学肥料を使わないで、野菜ができるわけない」と
言われたそうです。





簡単に書きますと、本来植物は、酸素、二酸化炭素、光以外に、根から水分や栄養を得て育ちます。



土の中にはい1gに1億匹ほどの微生物がいて、枯れた木や葉っぱ、植物、動物の糞尿、死骸などを


分解し、有機物であったものを無機物(たとえば 窒素、リン酸、カリウムマンガン、鉄・・・など)
に変えて、それらのものを植物の根に提供します。




慣行栽培の基本は、それらのものを、化学的に作り出し、植物に与えているわけです。


(おもに石油など化石燃料などから作るわけですが・・・)

要するに土壌に色々な物を分解する微生物や菌も必要ないわけで、悪さをする菌や微生物を殺すために

土壌の殺菌から行います。

有用微生物のいない土壌は、外的微生物や、虫などにきわめて弱く、それらから植物を守るために



農薬なんかやったりします。その農薬が効かない菌が出てくれば、また、違う農薬を開発します。


なんかもっともらしい話のようですが・・・


話はさかのぼりますが、戦後くらいまで日本ではそういった方法をとらず



わたしの子供のころなんかもそうですが、人糞尿など肥えを使った循環農業を行ってました。



慣行栽培を広めたのは、30~40年くらいのことではないでしょうか。




その間に、土地開発で自然は減り、(腐葉土10cm作るのに地球は100年かけているそうです)


土中微生物は良いものまで殺し、工業生産品のようなきれいで、均一な野菜(野菜のようなもの)
を広めてきました。








最近ちょっと下火になりましたが、口蹄疫問題。


わたしはこの病気について何もわかりませんが

なんだか、来るべくして来たという感じがしてなりません。




色々な野菜にしても、家畜にしても、人間にしても


微妙なバランスの上で、生態系の一部として成り立っていると思います。



インフルエンザウイルスもそうですが、ワクチンを作っても


ワクチンが効かないような変化したウイルスが出てきます。

牛なども同じで、同じ方法で同じように育て、



スーパー種牛なるものまであり、勝手な憶測ですが、



おそらくおいしい肉を作るために、少数の同じ牛の濃い血が(近い血統の血)が続いているのではないでしょうか。そして、「口蹄疫」に対して免疫不全というか

弱い牛だけになり、一瞬に広がったのではないかと、ふと思いました。(適当ですみません)





牛にしても、野菜にしても、人にしても、つけ は後から来るんじゃないでしょうか?


よく農薬とは、プールに1滴落とすような濃度ものと言われますが


1滴で虫や菌を寄せ付けないとは、わたしには恐怖に感じます。


人体なんかにも当然超微量蓄積され、アレルギー、アトピー、花粉、癌、・・・様々な要因の一つになっていると言われてます。レイチェルカーソン「沈黙の春」、有吉佐和子「複合汚染」も現実的です。



生態系のバランスを崩すと、引き戻すためのベクトルは、どこかにかかってきます。


すぐには影響ないので、誰も気付かないふりをしてますが・・・




慣行栽培農家が悪だとは思いません。


慣行栽培の農家がなぜそれに気づいても、修正できないのか?


なぜなら、生活できないからです。



お米30kg 8000~10000円では 何ヘクタールも作らなければ生きていけません。


それだけのお米を作るには、自然農や有機農なんかでは無理ですしね。




要するに、野菜の価値が低すぎるからなんです。


生きるために必要なものなのに、車に200万円だしても

消費者は、298円のキャベツはなかなか買いません。

高い野菜を買わなくても、それを補う高いサプリやドリンク剤は平気で買います。高い病院代も払います。





正当な価格で野菜が売買される日が来ることを、祈ります。



また、生態系の1部として循環できるもの作り、そういったものを食する文化が広まればよいと思います。


色々適当なこと書いてごめんよ~




以前のブログより移転⑧需要と供給

日本の自給率はカロリーベースで約40%。 
ここ最近の中国問題で国産品の需要は高まっております。 
特に昨年度からは 
スーパーは競って国産原料商品を売り、消費者動向で見ても 
「高価だが、安心できる国産」を求める声が多くなっていました。 
ただ、約40%しかないのに、需要はそれ以上あっても 
日本国内まかないきれる物量はありません。 
物によっては国産物しかないもの、国産で十分確保できるものもありますが 
昨今、安売り競争で、日本人の台所は、中国にシフトしていました。 

当社取り扱いのタケノコなんかその典型であります。 
30~40年位前までは日本国内の流通には国産品しかありませんでしたが 
低価格で、需要規格のそろう中国産に9割以上シフトしていたはずです。 
原産地表示が義務ずけられていなかった当時は 
わざわざ高くつく国産原料を使用していては競争ができないので 
当然100%に近いものは中国産でした。 
タケノコに限りませんが、中国産にシフトしたということは 
それまで、生産にあたっていた農家さんの仕事はなくなります。 
タケノコの場合はそれまで整備して収穫していた竹林は放棄され 
荒れはてます。また、どんどん生えるタケノコは竹林を繁茂させ、拡大してゆきました。 
現在では国内の竹林面積は20年前の倍近くになったそうです。 

広がり放置された竹林は、いろいろな災害を引き起こしたりもします。 
需要がなくなればタケノコ農家さんも他の事をしていかなければ 
生活できません。当然タケノコ堀農家さんは減り、衰退高齢化してゆきます。 

30~40年の歳月を経て、再び国産にシフトしようにも 
生産農家人口は減り、竹林整備、タケノコ堀りができる人材も減り、以前のようには行きません。 
そんな中でも需要が多いと、生き残りのためには供給を増やさねばなりません。 
ないものねだりは「偽装」を産みます。 

中国の農薬問題がここ騒がれ始めたのは、7~8年前からです。 
当社は、国産タケノコを復活させるべく、山口県の生産農家さんにお願いして歩き 
少しずつ国産商品を復活させて行きました。 
当時中国・四国・九州・京都・静岡などのタケノコ産地で、国産原料を 
調達して加工を行っていた工場は、農協工場を含め 
私の知る限りでは7~8社しかなく、その全量は微々たる数量でした。 
しかし、どこのスーパーに行っても、国産商品が並び 
関東に至っては4~5年前には8割以上どこのスーパーのタケノコも国産でした。 
本年度国産タケノコ生製造を復活させた会社は多いですが 
おそらくその全量を合わせても、関東圏で販売すれば2~3カ月しかもたないと 
思います。生産が増えた本年度でもそうなのに、4~5年前に本物がそんなにあろうはずもありません。 
偽装オンパレードだったはずです。 
ないものねだりは「偽装」を産みます・・・ 

それでは、なぜ偽装がこれだけ増えたのか?にも触れてみます。 

当社が国産を復活させた7年前、国産復活のさきがけだったと思います。 
当時は「付加価値」を求め、中国産農薬等の問題に左右されない商品作りということで 
当社は国産タケノコを復活させました。 
おおよそ、原料の買い付け価格、加工経費等を踏まえ、100gあたり130円ほどの価格 
で販売しておりました。(中国産は当時200gで100円均一で売っていました) 
どうしても人件費等の違いで、中国産に太刀打ちできる価格では製造できません。 
後発のメーカーもほぼ同じ価格で販売していました。 
当時から、ない筈の物量がスーパーで売られ始めていたので 
「偽装」を行っていたメーカーは相当な利益が出ていたはずです。 
6年前、5年前と年に数回程度の中国問題がニュースになっていましたので 
国産のニーズは増え始めていました。 
5年前には、実際国産の原料を集めているメーカーは数社しかないのに 
全国、国産オンパレードになっていました。 
国産商品が増えると、競争が激化し、価格は下がってきます。 
3年前には当社価格も下げざるおえず、100g当たり130円→100円まで下げ 
利益が全く残らない状態でした。 
価格を下げないと、得意先がなくなり、販売先がなくなります。 
さらに価格競争が激化し、他社商品は安いものでは100gあたり60円のものまで 
出ていました。当社の当時の製造原価よりはるかに安い価格でした・・・

(続き)得意先の多くを失いました。 
中には、信用できるものしか売らないと、当社の商品のみ 
販売していただいたスーパーさんもございます。<(_ _)> 
このころ、農水に相談したこともございますが 
それほど力の入った対応はしていただけませんでした。 
この頃は需要は国産原料商品ばかりで 
山口県当社契約生産農家さんも7年前から比べ 
かなり増えて生産量も増えていましたが、それでも当社で取り扱う国産原料の3分の1程度でした。 
そこで、考えたのが、「生産者が足らないのなら、自分たちで掘ろう」という現在の広島県産たけのこのプロジェクトでした。 
何とか生き残るための、藁をもつかむプロジェクトでしたが、今年3年目を迎えて、山口県産の収穫量を超えることができました。 
対偽装国産商品に対抗してすり減らした資金で生き残るためには、資金をできるだけかけないで、タケノコを集めるしかなかったのです。 
話がそれました。「どうして偽装商品がこれだけ増えたのか・・」 
国産需要が増えて、大手水煮メーカーは供給すべき供給量のために偽装をはじめました。 
水煮メーカーは九州や四国の産地にその大部分があります。 
まわりの大手水煮メーカーが偽装を始めると、そのままでは得意先を全部大手に取られてしまいます。では、どうすれば生き残れるのか・・・・ 

偽装をして自分たちも国産商品を作ればよい 

なのです。大きな偽装を発端として、小さな偽装が次々と生まれます。 
なぜなら、生き残るためにです。 
路頭に迷うのはできるだけ避けたい・・・ 
社員やその家族も路頭に迷わせるわけにはいきません。 
だから、ここまで増えたのだと思います。 
もちろん悪意ある偽装もありますが・・・ 

「業界ぐるみの偽装・・・」とか報道では言われてますが、 
消費者をだますことは絶対いけないことだと思いますが、 
わたしは、今回の是正支持、公表されたメーカーのことを 
「ざまあみろ」と手ばなしでは喜べません・・・ 

これはタケノコのみならず、「米」や「大豆」、「のり」なんかも生産量より 
国産が多すぎる、というより、中国産をほとんど見たことがありません。 
輸入量より国産が多すぎるので、誰が考ええも一目瞭然な気がします。 


愚痴ですが、それにしても、事故米や不祥事のスケープゴートともいえる、水煮業界たたきはひどい・・・ 
知らない人は偽装で同業者が上がるたび、「いいねぇ、競争相手が減って~一人勝ちですね~」 
なんていわれますが、なんのなんの・・・ 
引き合いが強くても、現状取引先をまかなえるだけのタケノコ原料もありません。 
偽装公表があると、偽装していなくとも売り上げは下がります。 
証明書やトレースの提出書類は増え、余計な仕事は増えますが、売り上げは数日必ず下がります。 
中国産問題のときもそうでした。 
昨年は2年前の約70%、本年度はその昨年度の約80%・・・ 

もういい加減にしてほしいものです。 
それでなくても中小企業はみな悲鳴を上げてます。 
大企業のように国は助けてくれません。 
少ない人数で仕事を分担していますので、人員削減なんかもそんなに簡単には出来ません。 
赤字続きの中小企業がヒット商品を出して大幅に利益を出しても 
税金でもっていかれます。借金して利益出して、税金を払う為に借金・・・なんてのもあります。 
近いうちに今のままでは、中小企業壊滅ですね~今のままではね・・・ 

表示に関しても・・・いっそのこと産地表示なんて廃止すればなんて考えたりもします。 
だって、公平ではなく、表示しなくても良いものもありますし・・・ 
本当は表示すべきだとは思いますが 
どうせ公平に出来ないのなら、全部取っ払えば良い。 
なんて考えも正直あります 
例えば、当社でも製造してます「釜飯の素」なんてその典型です。 
当社は具材に味をつけず、スープで炊き込むタイプなので 
原産地表示しなければいけません。 
大手メーカーなどは最近では、表示しない為に、スープ具材一体型。 
味付け商品なので、今のところ産地表示の義務がありません。 
同じ土俵で当社国産原料の釜飯と、他社中国産(表示なし)釜飯が戦ってます。 
スーパーからの要望は、当社には、圧倒的に「国産原料」なのですが 
言わずとも、中国産表記なしの他社商品は、価格、ボリュームで勝ち・・・。 
中国産は買わない、消費者は多いはずなのですが・・・ 
外食、弁当、惣菜・・・ほぼ原料は中国産です。 

「中国産」は巷で騒がれているように危険なのでしょうか? 
これも踊らされてますね~。大半の原料だった中国産・・その中のほんの一部の報道で 
中国産は失脚しました。 
偽装は悪いことですが、タケノコに関しましては、違うような気がします。 
中国の竹林は日本とは規模が違う。見渡す限り、地平線まで竹・・・ 
なんてところです。農薬、化学物質を入れる必要もありません。 
安全面で国産より、ということは考えにくいです。 
特に多くの竹林は、日本の認定機関に認定された有機圃場(ほじょう)です。 
安全じゃあないのかな・・・? 

な~んて、中国産肯定してるようですが、本心は違います(笑)。 

残念ながら、国の作った食品の表示ルールは、 
消費者に何を知らせるべきなのか、根本的にズレテいると思います。 

例えば賞味期限。 
消費(しょうひ)期限ならば、5日以内に品質が変わる恐れのある 
短期間商品なので、売り手も買い手も、わかった方が良いです。 
賞味期限は如何でしょう・・・ 
期限を決めるのもある程度のルールはありますが 
本当に必要なんでしょうか・・・・ 
昔はなくても困りませんでした。少なくとも私は・・・ 
見た目や色、匂い、味、おかしければ捨てれば良い。 
おかしくないものを捨てる必要はない。無駄になりますので。。。 
納豆なんて、賞味期限切れ、1ヶ月くらいたった少しアンモニア臭のするもののほうが 
私にはおいしく感じられます。酵素が働き、体にもよいと思います。 
便利になれば良い訳ではない。人間本来の五感すら機能しなくなります。 

兎角に人の世は無駄が多すぎる。私はそう思います。 
漱石も「兎角に人の世はすみ難い・・・by 草枕」って言ってますよね~ 
賞味期限なんてルールを設けたがために、捨てなければならない無駄は 
年間どの位あるんでしょう? 
賞味期限3が月なら、販売する方は期限が短くなってくれば販売できません。 
切れてしまえば、廃棄処分です。 
賞味期限表示などを入れた表示方法の度重なる改正で 
(毎年のように表示改正はあります) 
使えなくなった袋は当社だけでも百万枚以上。 
大手なら、全国一斉に商品を流せば、1ロット分の包材がはけて、次の袋を作ればいいですけど 
弱小企業はそうは行きません。 
当社でも200種類位の種類の商品がございますので 
各1万枚使えなくなったとすれば 1万×200種=200万枚 1枚8円ならば 1600万円!! 
改定期間までに1年位ありますが、ロットの多いものや、あまり動かない商品は捌けません。 
最初のうちは、廃棄するにはもったいないので、表示改正シールを別に作り(もちろんお金がかかります)貼って使用しますが、忙しいときは出来ませんし、当然シール代&シール貼りの人件費がかかります。 
それでもシールを使用して、無駄にしないよう頑張っていましたが、 
とどめの中国産問題。 
2年前は、中国産商品の売上、当社前年比30%以下でした。。。売れません・・・捌けません・・・ 
袋はあきらめました。。。 
ざっと百万枚以上・・・ 
おそらく、全国の食品メーカーの包材フリョウ在庫は、億、兆・・・・無駄~ 
資源問題、環境問題、超反エコな事態が、表示方法の改正で起こり得ります。 
国はエコを提唱しているのに・・・ 


表示に戻れば、例えば添加物表示。 
一般の人が見ても、その添加物が何なのか?どうやって作っているのか? 
どうして必要なのか?わかりません。なぜか表示しなくて良い添加物も存在します。 
例えば漂白剤(次亜硫酸Na)(次亜塩素酸Na)、これは表示しなくてはなりませんが 
なめくじを殺す殺虫材と同じ成分だったりします。 
また、皆さんの飲んでる「水」(浄水)に殺菌の為水道局?が入れてたりします。 
発ガン性物質だったようなぁ・・・ 
こういったものは、表示と共に、危険性も別の形で国民に知らせる必要があるのでは・・・ 
自分で調べなければわからないのに、そのための資料は探しにくい。 
慣行栽培(農薬・化学肥料)推奨の日本では、農薬は悪いものではない・・というお上の認識。 
そんな中で、資料を調べても、本当の危険性がわかるかどうか・・・・ 
このあたりがまずフェアーじゃない。 

先ほどの漂白剤は加工メーカーが加工するときに表示しなければならない添加物。 
水道水には表示されていません。フェアーじゃないですよね・・・ 

次亜硫酸・・・とか、いかにも体に悪そうなものを例に出したので 
もうひとつ添加物あげときます。 
例えば、(アミノ酸等)・・・最近サプリでやたら耳にするアミノ酸・・・ 
良いイメージしかないと思います。 
何だろう?何が入ってるんだろう?まったく何が原料かわかりませんよね。 
ヨーロッパでは 共通の食品添加物ナンバーに E621(Aji-nomoto)と記載されてます。 
いわゆるグルタミン酸ナトリウムが主原料です。 
詳しくは→アミノ酸等解説 
ラーメンを食べた後、舌にピリピリが残りませんか? 
そう。あれです。 
なんだかわからない添加物ほど、本当は疑ってかかった方がイイですね~ 


しかし、こういったものが全て怖いとなれば、 
無添加商品は安全、添加物を使用しなければいいじゃん。なんて思ったりしますよね~ 
私も出来るだけ使用しない方がよいと思いますが・・・(まったく無くすのは難しい・・・) 
でも無添加商品、その栽培過程で、農薬を恐ろしく使っていて、残留していたとしたら如何です? 

無添加なら安心は迷信です。 

そんなに安全なものが巷にない以上、より安全そうなものを見抜く目を養うべきなのです。 
五感も必要、勉強も必要なわけです。 


原料を使用して加工を行った最終商品を作るメーカーが、全て責任を追わなければならない 
製造者責任というものは、厳しいですね~ランダムな検査では 
例えば畑の一部分が汚染されていてもわかりませんよね。 
わからないのに、問題が起これば倒産します。。。リスクの高い商売ですね。。。 

安全かどうかをわかるようにするのはとても難しい・・・・ 
やはり、カクカクのコンポライアンスなんですかね。本当に必要なのは。 

こんな中で、原産地表示の義務は? 中国産より国産のほうが安全? 
表示では安全かどうかわかりませんよ。 
ということは、中国産のほうがヤバイ・・・と巷に認識させたマスコミのがいけないのかな・・ 

表示しなくて良いもの、表示しなくてはならないもの、 
もう一度考え直すべきだと思います。 
また、マスコミも、誘導するような表現等は慎重におこなってほしいです。 
個人的にはそう思います。 

偽装はいけないことだけど、そんなこと取るに足らない、もっと重要なことが 
隠れている気がします。 

中国産を肯定はしませんが、もっと安全のわかる国産を作っていくことが 
現代の課題であり、日本の自給率を増やす、日本農業を救うことになるのではないでしょうか。 
ピントをずらす必要はありません。 


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自社で一次産業である 竹林整備、タケノコ堀りを行ってきて思いました。 
人はそもそも、生きていく為に食べものを採り、栽培し・・・・ 
生業としたのが始まりなはずです。 
分業し、色々なモノの価値が生まれ、お金が生まれ、仕事の価値が生まれ、 
支配制度社会があり、作る人、とそれ以外の人の分かれた社会が出来ました。 
でも、生物の生きるわけ(理由)は、種族保存であったりします。 
生きる為には、食べなければなりません。 
そういった生きる為の創造の場は、本当にやりがいがあるし、キツイケド面白い。 

現在の日本の農業は壊滅寸前と言われてます。 
農業人口は減り、高齢化。農村は過疎が進みます。 
新規就農者がほとんどいません。 
僅かにいても定年後の第二の人生世代が大半を占めます。 
国の政策や、農家の村社会が今まで新規就農や企業参入を邪魔して来ましたが 
近年、ようやく、もともとの農民が減り、農地法等、 
少しだけ、少しだけ動きました。 
農家の村社会は農家が悪いのでなく、隔たり続けてきた社会制度が生んだものだと思いますので 
ということは、やはり国が悪いんでしょう。 
こういったものの改正が、必用な時期が来ているような気がします。 

長々と書きましたが、ここまでは問題の投げかけ。 
ちょっと、違った感じにまとめて書いてみます。 


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現状 
●偽装の基本  需要と供給の流れ  
中国産→危険  国産→安心 (国民の認識) 中国産需要→国産需要・・・ 
1.ないものねだり(少量国産)は「偽装」を生む 

偽装のメンデルの法則 
2.「大手の偽装」は「小さな」偽装を生む 


●どうして偽装はいけないの? 
消費者をだますことの罪 
1.詐欺罪 

同業者に対しての罪 
2.不正競争防止法違反 

      ↑ 
消費者の偽装の捕らえ方とのズレ 
      ↓ 

●消費者はどうして偽装を許せない? 
そのものの危険性 
1.中国産は問題が多いので、危ない、危険 

ほしいもの 
2.安全そうで安価な国産 


●どうしてわざわざ危険を冒してまで偽装するの? 
消費者が国産を望むから 
1.中国産は売れないから 
2.国産が売れるから 
3.国産のほうが高く売れるから 
4.売れなくなった中国産の原料がフリョウ在庫になっているから 
5.みんな偽装してるから 
6.国産の原料が調達できないから 


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大事ななことのような気がすること 
●消費者の望む安全性 
1.中国産は本当に危険なのか? 
2.国産は本当に安全なのか? 

でもその前に 
●何が安全で、何が危険なのか? 

●何を表示(消費者に伝達)するべきなの? 


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ここまでが、くどくど書いてきたことです。 

需要があるから、供給がある 
核心のずれた需要に対しての供給ではいけません。 
国の政策も、生産者も、消費者の声にもっと耳を傾けるべきだと思います。 

このままでは、中小企業メーカーは生き残れないぞぉ~ 

えらそうなことばかり、たらたら書いてすみません。ポリポリ (・・*)ゞ 

これからもたらたら書きますが~ 

以前のブログより移転⑦ 2009-06-13土づくりの重要性

土作りの重要性

自然界には、有機物が適切なC/N比(炭素:窒素)で 適した水分や空気が含まれるよう積み上げられて 50度前後の高温で発酵している堆肥塚はありません。 



ということは、自然は堆肥を作りません。 




自然は地表に落ち葉や腐食木をマルチ的に積もらせ 、長い時間をかけて、少しずつ腐植土をつくっています。
 
100年かけて、表土1cm程です。 



人文化は消費文化。数万年かけて出来た化石燃料も 数千年かけて出来た堆肥も消費し、エネルギーや 作物を作ります。
 

その速度が速すぎるので、循環されない、破壊につながる サイクルで生活してきました。 



それに対し自然は、様々な手を使いサイクルを 守ろうとしています。自然は様々な手を使い表土を 
守ろうとしています。有機物を分解し腐植土を作る 微生物を増やすよう、支援しています。 

肥沃な表土を守らなければ、それに依存している 全ての生き物が生存できなくなるからです。 


命あるものはやがて死を迎えます。命は土に戻り 新しい命の養分になります。
 
これが自然界の循環の法則です。
 
すべての生き物が依存しあい、均等がとれてこそ 循環します。 


環境問題、温暖化、地球は様々な危機の病状が 出始めています。均等が崩れています・・・ 




「現代農業は作物の成長を加速しようとしたが、 腐植の部分を加速する努力はほとんどされなかった。 生命の車輪のバランスは崩され、農の営みのバランス 
が損なわれた。その傷跡を化学肥料で埋め合わせよう とし、その結果世界の耕土は疲労し荒れ地となったか 汚染されている。耕土の修復と肥沃度の管理は 世界的課題となっている」 
- アルバート・ハワード1945年 


昔からわかっていたことなんですね~ 
堆肥作りは、自然の微生物を増やし、腐食を加速させる こと、100年1cmの自然の力に対し、 1年で同等の堆肥を作ることができます。 
もちろん、自然のサイクルにあった行動を 人がとるからこそ、自然は力をかしてくれるわけです。 


農業において一番重要なのは、私は堆肥作り、土作りだと思います。 



>良質な堆肥で育った有用微生物の豊富な畑の作物には、と書きましたが、それにはわけがあります。 
岩田進午先生の著書「土のはたらき」より、一部紹介します。 



水稲のイモチ病は、窒素を多用すると 
激化することが知られています。 
これは、細胞膜が薄くなるとともに、 
イネの硬さを保つケイ酸含量も低下して 
菌がイネの表面細胞へ侵入しやすくなるからです。 
キュウリ、タマネギ、インゲンなどの病原菌である 
フザリウム菌も、一般に、多肥条件で猛威をふるいます。 

窒素などを多肥すると、植物の育成は盛んになりますが 植物の表面細胞組織や、体内代謝のほうに好ましくない 変化があらわれます。 
根などの表面細胞が軟弱になり、病原菌の侵入が容易になります。 
作物体内のアミノ酸や糖の濃度が高まり、 葉や根から分泌するそれらの物質の量も増えます。 
根のまわりや葉などに育成する病原菌外虫が増殖します。 
これらの条件が総合されて作物は病気にかかりやすくなります。 

※多肥・・・作物が要求する以上の量という意味 


肥料の多肥により、作物が要求する以上になった場合 土に蓄積され今度はほかの障害が現れやすくなります。 
たとえば、カリウムが過剰に存在すると、カルシウム、マグネシウム 
ホウ素などの欠乏症があらわれます。これは、すでに物質循環が 破壊されたからです。 
土中の化学肥料濃度の増大は、これまで土ではあまり活躍できなかった 
微生物の増殖も促します。 
これらの微生物の多くは、森林中で生物遺体の分解にたずさわった グループとは別のグループに属します。 


これらのグループは活動が盛んで有機物をより急速に分解すると同時に 
土の風化を促進する働きを持っています。 


これらのグループは腐敗菌のグループです。 
結果、堆肥をすきこんでも、化学肥料を多肥した畑は土が痩せるわけです。 
偏った施肥は環境を変えてしまいます。 
やはり、自然の循環を念頭に置いた土作りが大切なわけです。 
虫はあまり付きません 


堆肥を作ることは、畑の多くの問題を解決してくれると考えます。 


堆肥をマルチ代りに使えば雑草の問題も解決してくれます。 
水不足の場合も土中の堆肥により水分量が蓄えられ、 水はけが悪い粘土のような土には、多めに堆肥をすき込んだり 
ソルゴーやサンヘンプなどの草を植え、緑肥としてすき込むことで 畑の修復ができます。 
(サンヘンプマメ科の植物で良質な家畜の餌にもなります。) 


ポイントはバランスのとれた土壌微生物圏が 病害抑制として機能しているということにあります。 
現代農業がこのバランスを壊してしまったため、 
病害の問題をも引き起こしてしまっていると考えられます。 

堆肥コンポストは有機物が単に腐ったものではありません。 
堆肥1グラムには約200万~300万の微生物が含まれるといいます。 
土の中では、数えられないほどの微生物が複雑な生態系を 作り上げています。 
畑の堆肥は、土の中の複雑な生態系バランスを調整しています。 
土壌微生物の大切な役割の一つに、植物の根からの養分吸収の 手助けすることがあります。 
有機物から窒素や硫黄、リン、微少ミネラルを取り出し植物が 吸収できる形に変えています。 
土壌ミネラルを分解して、カリやリン、他にもマグネシウム、カルシウム 
鉄分・・・を取り出すのも微生物の働きです。 
天然の成長促進ホルモンを作り植物の根の成長を促す役割 もあります。 
豆科の植物の根に窒素を固定したり、独自に窒素を固定を したりもします。 
土の状況に合わせ、アンモニア・窒素・硝酸塩を作り替えるのも 微生物の仕事。 
他にもいろんな微生物が養分を植物の根が吸収しやすい形に して提供したり、土壌の構造を調えたり、病原菌が植物の根に 感染するのを防いだり、 
土の毒素を中和したり、様々な方法で植物の生長を根本から 支えています。 
バクテリアの他にもミミズなどの節足動物、菌類、放線菌、 藻類、線虫などもそれぞれの役割に応じ、植物をささえます。 

どうしてこんなことがおきているのでしょうか? 
なぜなら、すべての生き物は植物に依存しているからです。 
植物なしでは生きることができないからです。 
色々なものが緻密に働き合い循環ができます。 その循環に適した環境に変わっていきます。 
植物に適した形に自然が循環しなければなりません。 
だから土作りが重要だと考えます 






以前のブログより移転 2009-06-15


以前のブログより移転⑥ 2009-06-10 燃料!? ・ 鎮守の森 ・ 思い伝わる

「燃料!?」
ガソリンや軽油、重油の価格が高騰しますと

社長としてはつらい・・・ 
営業経費があがって、販売商品価格を据え置き出来るには限界な上昇です。 

お隣島根県では、菜の花を栽培し菜種油を販売。 

その廃油を回収して再燃料化したりする取り組みが開始されています。 
こういった取り組みで、「油の使いすぎ/リサイクル」を個人個人が経験する 
ことはだいじなことだと思います。 

資源は限りのあるものです。 
当然使えばなくなる可能な限りのリサイクルは必然でしょう。 

燃料といえば核は如何でしょう。 
近くに原発があるだけでも私は怖いですね。 

東京の電力をまかなう為の原発は東京にはありません。 
多くの幸せのために少数は・・・いかにもお上の発想ですね。 
放射能漏れ事故があっても、被害を受けるのは・・・ 
また、使用原料の廃棄物は・・・・ニュースを見るたびに(テレビは見ませんが)
恐ろしくなります。 
大きな力で、未来の安全はどんどん減っていきます。
完全に自然に還元できない物は、何かを破壊します。 


私の好みの燃料は還元できる?  風力、太陽電池燃料電池ですかね~ 

例えば、マンションを建てるのに風力発電装置をつけないと建設不許可とか 
全ての屋根の瓦や屋上に超マイクロ・ナノテクノロジーを駆使した 

太陽発電機を組み込むとか 
(瓦型太陽電池・・・なんかすでにありそうですね) 
遊歩道にマイクロ太陽電池を組み込むとか(汗) 
太陽電池を動力とした風力発電とか組み合わせも面白いですね。
この分野はお金の臭いがしますね~ 
池澤夏樹さんの短編小説で風車を作るというのがありましたが 
将来私もチャレンジするつもりです。 

電力会社に売れるくらいのものを作れば、 

まだまだ未来は明るいですね~(電力だけに) 

バイオ燃料は如何でしょう。わざわざ主食の穀物を使わずとも、 

「竹」バイオ燃料を作ればいいのでは~と考えます。 
(四国や九州では取り組まれているようですが) 
竹は生長点が各節にあり、各節が同時に延びるので2ヶ月もあれば 
20mにも成長します。 
この成長力は見逃せないはず!植物ナンバー1でしょ? 
ただ、竹の子を売っている食品会社としましては、 
竹の子そっちのけで竹を栽培しなくてはならなくなる 
(竹の子を掘っている場合ではなくなるかも?) 
というオチがありますが・・・汗 

話はそれまくりですが、燃料が上がると日本の顔「車産業」は大打撃ですね。

コストの低減化として、ここでも「竹」は注目されています。 
バンパーやボンネットに微粒子かした竹の粉末を 
カーボン代わりに混ぜて、強化、価格の低減を 
日本の車メーカーは行っているようです。 
さすがですね。 


先ほど資源には限りがある。使えばなくなる。と書きましたが 
これは農業でも同じです。 
土の栄養を吸収し、野菜は育ちます。 
収穫してしまえば、土の養分(資源)はなくなります。 

輪作があまり出来ないのもそのためですね。 
大地のエネルギー化ですね~ 
土に栄養がなくなれば、補わなければなりません。 
数万年数億年のサイクルの原油に養分を補うことは出来ませんが 
サイクルの短い農作物では可能です。 



ただ、何で補うかが重要なのです。 
化学肥料? 合成して作り出したものは完全に還元するのには 

時間がかかります。 
どういったサイクルで自然は作られていくか考えれば、答えは見えてくるはず。 


おぼろげに竹に中に(かぐや姫ではないですよ)答えが見え隠れしています。 
答えを知っていても、実行しないのでは、 
答えを知らないのと同じこと。 
この辺のことを、わたしは頑張りたいですね。 


以前のブログより移転Α2009-05-22





「鎮守の森」


当社は竹林整備を行っていますが、 
繁茂して、テングス病という病気にかかった竹が多く 

切ってしまわないと伝染します。 

テングス病になると、(菌がつき)異常に葉が枝分かれして 
葉っぱが増え、幹や根に栄養がいかなくなり、 
竹は枯れてしまいます。 
手入れのしていない竹林ではやる、白血病のような病気です。 

以前新聞で、中四国、九州のハチク、真竹の95%がテングス病に 
かかっているというニュースが載っていました。 
もはや、ハチク、真竹だけでなく、孟宗竹にまで広がってます。 

孟宗竹は200年ほど前に薩摩藩が中国より持ち込み 
竹の子がおいしいのでどんどん広がったといいます。 

孟宗竹は帰化植物なので、人間がもとからある多層群落の森を 
破壊したあとの荒廃地や放棄田畑などにどんどん侵入して 
繁茂していきます。 

この前ラジオで聞いた宮脇昭さんの話では 
帰化植物は、高木層、亜高木層、低木層、草本層と多層群落で 
安定している土地本来の森、いわゆる「鎮守の森」には 
ほとんど侵入しないそうです。 


言い換えれば、地球、自然は絶妙なバランスで成り立っているのかも知れません。 

人が荒らし、バランスの崩れた土地を、ナウシカ王蟲が清浄化しているのと 
同じだと考えてよいかもしれません。 
清浄化がすすめば、竹は枯れていくのかも・・・・ 

竹の子を生業の一つとしている私としては・・・ 

生長点が節ひとつづつにあり、半年で20mにも生長する竹は 
なにかほかのものにない性質の力があるような気がします。
私が色々な竹林を見てみるに、竹は窒素分の多いほうへ 
どんどん広がっているような気がします。 

新しい竹林のちかくに生えた木は、うどんこ病にかかっている 木が多く見受けられます。

慣行栽培を行っていた放棄畑にもすぐに 
進出します。 

おいしいと評判の京都山城産の竹の子も 
硫安を大量添加します・・・・。 

私は繁茂竹林を整備し、自然の恩恵として竹の子を掘り食べたいです。
竹の本来すむべき場所は少ないのかもしれませんが 
本来の鎮守の森を汚すことなく、人に自然の恩恵(竹の子、道具に使う竹、竹炭、竹酢液) 
をあたえるものとしての竹と、自然に、付き合っていくつもりです。 







以前のブログより移転А2009-06-10
「思い伝わる!?」

 


野菜の栽培中  
モーツアルトの曲を聴かせると 
発育、味とも良くなる」という実験の検証を行っている 

広島の県北部の農家さんがいます。 
大学との連携検証で、それなりの効果があるようです。 

詳しいことは知りませんが、曲のどこかの音域の震動、波動が 
良い影響をあたえるようです。 

味が良いとするのは、人間の主望であり 

植物自体の生育目的が「おいしい、あじがよい」わけではないので 
それが良い影響なのかどうかは不明だと思います。 

妊婦の胎児教育にも、モーツアルトはよく使用されていますし 
そういった「安心感」のようなものが、よいとされる影響を与えているのかもしれませんね。 

また、野菜の栽培中、芽が出て2週間ほどたったころや、苗に元気がなくなりかけたとき 
手でそっと葉をなでてあげると植物が元気になるようです。 
これは、手で触れることにより、植物は外敵の防衛手段として 
エチレンガスを発生させます。 
エチレンガスは植物のホルモンの一つで 
徒長を防いだり、促したりする作用があります。 
栽培されてる方は、丈夫に育つのでぜひやってみてください。 



りんごのそばに未完熟のバナナを置いていると 

りんごのエチレンガスを利用して、バナナの熟成を進めます。 
りんごはエチレンガスをかなり放出しているようです。 

外敵に攻撃されたり、病気にかかると、植物はエチレンガスをだして 
元気になろうとします。 

そのエチレンガスは周りの苗や他の植物にも影響し、 
助け合い、より、種保存のための体力抵抗を行うそうです。 



「奇跡のりんご」で有名な、自然農の木村さんが 

1本づつ りんごの木をなでて、話しかけをするのも 
もしかしたら同じ効果が働いているのかもしれませんね。 

やさしい音色、やさしい思いは植物に伝わるのかもしれません。

以前のブログより⑤ 2009-07-03~07-04 農業の妄想~タケノコは孟宗~

先日、自給率が低い話題を書きましたが 
いま、派遣切りや、リストラで長年努めてきた会社を辞めさせられた方が私のまわりにもいます。 
あまった労働力を何処に向けるか~ 
やはり、今こそ農業!なのでは~(←かなりしつこい) 


ということで、農家に生まれなかった人が農業を始めるには~?と考えてみました。 
何も本業でなくてもOKです。自給自足の補助にでもなれば良しとします。 

1.農家に嫁ぐ

    これは確実です・・・汗 

2.就農する

   就農応援期間があります 

3.家庭菜園を始める

4.屋上菜園を始める
5.ベランダ菜園を始める
    このあたりは、自分の農業適応力を確かめながら、ライトに始められます。 
6.農地を借りる 工
作放棄地は恐ろしく存在します 

上手くすれば、借り賃もタダ~格安で・・・ 

このあたりまでが定番ですが 
最近少しずつ始まったニュービジネス


7.農地つきの家を購入、借りる 
8.農地つきのアパートを借りる 
9.屋上菜園つきのマンションを購入又は賃貸 
     
意外とニュービジネスです! 
調べてみると、色々そういった物件、菜園を売りにした家の販売はあります。

→菜園付住宅例 →不動産屋は考える

10.コロニーへーヴを作る     
    これは週末農園方ですが、
→ コロニーへーヴ エノコロ通信楽しそうです。 

こまできたら、週末だけなんていってないで、

11.新たな兼業農家を集めた村を作る 

旧農家の過去のしがらみ無しの、新たな町開発! 
ダッシュ村のような村を作るんです。 
共同の農機具などで、コストを低減させます。堆肥なんかも共同で作れば楽々です。

経験は共有してゆきます。 
ここまでくればさらに徹底して 


12.自給自足、循環エネルギー、循環資源の新たな農村作り! 独立農村国家です!エネルギーは風力、太陽電池、地熱、燃料電池で 村全体をまかないます。光熱費は維持費でまかなう。 ハウスなんかももちろん出来ます。余った電力は売りましょう!

苗つくりには温床をつくり、共同でさまざまな野菜を作ります。 兼業でも出来ます。土台さえちゃんとできればね~ ~なんて、自分の将来やりたいことの方向へ、孟宗、いや失礼、妄想していく今日この頃です。


それでは折角なんで(笑) 昨日の妄想に肉付けしてみましょう~ 
あくまで妄想なんでご了承を~ 

独立農村国家プロジェクト Independent Farming Nation PJ なんて~ 


普通にダッシュ村を作るのでは面白くありません。

新しい農業方法の形態として現在の形態よりメリットが必要です。

最低遂行世帯としましては、50世帯位が妥当でしょうか。 
後々500~800世帯1500人~2000人ほどまきこみます。 
当然独立村国家、計画内に病院、学校などものちのち必要です。
そのあたりは50世帯単位、複数の村ができ合併させたところで計画します。 
それまでは、村を立ち上げる地域付近をうまく利用しましょう。 

兼業農業村(国)にするのもいいですかね~でも置いときましょう。
条件に見合う土地を見つけなければなりません。 
現在の過疎地域、山間でもOK、積雪はほどほどな地形が良いでしょう。
敷地は広いのに、耕作放棄、過疎で数十人しか住んでいない村なんかいいですね。
ある程度の開発で別荘予定地なんかを農地登記して 
土地確保をする必要もあるかもしれません。 
1人1町(ヘクタール) 50世帯で農地50ヘクタールほどあれば良いでしょう。
大量生産して、村外に大量に野菜の販売をする必要はありません。
自分たちが食べていけて、若干の販売なんかできたりすればよいわけです。 
他の中間マージン業者(JA、経済連、市場)を介さない、物流も独自まかねえば 

商品流通した場合利益は少量でも十分あります。 
当然野菜だけ食べていくわけではありませんので、村内に例としまして「肉・魚屋」 
など必要になります。

 商品の販売購入には税金が発生します。また、得た金銭利益からも税金が発生します。 
税金対策としまして、村内の売買の一部は物々交換というのも手でしょう。 
数少ない「肉屋・魚屋」に過剰に消費以上の野菜が入ってきては困るので 
町内貨幣制度を作り、最終的に回りまわって物々交換になるという手を使うことが 

良いかもしれません。 
本物の貨幣の動きをなくせば税金の発生が抑えれます。←(適当な理論だが、ほんとうかぁ?) 
村内の「商品」の代償は、「他商品」であり、「労働」であり、「労力分担」とみるのが良いかな。 
税金の浮いた分を老後の福祉分担、災難の保険、などに割り当てればいい感じです。 
対外的には通常資本主義、商売も普通に行います。村内でまかなえるのもには 
極力無駄金を減らす方向で行きます。 
話はそれますが、これは士農工商など、根強く過去からはびこる差別主義を 
少しづつ解体していくことでもあります。 
国民が不況で苦しんでいても、官民が利益をむさぼっているようではいけません。 
ちなみに余談ですが、 
平成19年度独立行政法人の平均年収は 732.6万円   
地方公務員は 728.8万円 
国家公務員は 662.7万円 
国の顔、上場企業は 589.3万円 
私たちのような民間企業は 434.9万円 (独立行政法人の60%以下) 
国民の税金でまかなっているのに、国民企業は・・・ 

おかしいでしょ~。 
国民が苦しいなら、ボーナス(今年の近県島根鳥取県官公庁ボーナス平均は67.1万円、 
民間34.5万円) 

なんて出さずに還元しなさいよ。 
まさに「管尊民卑」 
彼らのメリットは収入だけではありません。なぜなら彼らがルールを作るのですから。裏道も思う通り。 
たとえば格安の払い下げ団地は、抽選制ですが半分くらい公務員だったり・・(わが県内ですよ!) 
見え見えの天下り区画整理では良い所に土地を持っていたりもします。 
権威者はひどい。理にかなわないことはたくさんあります。 

国家公務員約60万人(内25万人は自衛官!) 
地方公務員約295万人 
計約355万人(日本人口の2.85%)を約1億2420万人の国民が養っているわけです。


要するに現代の士農工商身分制度となんら違わないわけですよ。 
運が良ければ表沙汰にはなりませんが、次々出る各党重要ポストの献金問題や 
不祥事・・・スキャンダル、国のトップがこんなんじゃあね。 
献金問題なんてこれも、詐欺・偽装でしょ。消費者をだますのも、国民をだますのも!
と、文句ばかりですが、状態が悪いから改善がある。新しい知恵が生まれるということで 
見逃してください。 
愚痴ばかりでは始まらないので、話をもどします~ 
  
まず土地は地形を有効に利用し、農地や家の土地を設計割り振りする必要があります。 

農地には商品搬出道を巡らせます。共同の選荷施設、保存施設、までの経路も確保します。
農業にかかる大、中機材は共同で使用します。小機材は、各各で補います。 
機材の燃料は菜種油、廃油、燃料電池を使用します。廃油処理施設もいりますね。 

村内の適地には、風力発電用の風車を設置します。 
簡単な発電所も出来るだけ離れた場所に作ります。 
太陽発電のマイクロチップやなんてつくれば瓦や歩道などに埋め込むのも手です。 
共同施設の屋上にも太陽発電、地熱発電装置をしっかり張り巡らせましょう。 
もちろん車は燃料電池。 
電力はすべて村内でまかない、家も電化住宅にします。 

自家発電装置、自家溜電装置も各家につけます。 
余った電気は電力会社に販売して、そのお金を発電設備維持費にあてがいます。
各各が節電を出来るだけ行えば、余剰資金も生まれるかもしれません。 
電力の使いすぎを防ぐため、いったん電気料金は村内電力会社に支払う仕組みの方が良いかな。 

水はボーリング、井戸、河川等を利用し、炭などのろ過施設を用い、薬品を使わないで 浄水を作ります。下水は処理施設でできる限りきれいな状態にしたいですね。 
昔のように人糞尿を発酵堆肥にするのも良いかもしれません。 
処理発酵堆肥施設を作りましょう。 
生ゴミはシマミミズ堆肥場で可能な限り堆肥にします。 

この辺りの細かいことはまた考えましょう。 

出来るかぎり環境に負荷を与えぬよう循環で行うことが一つの柱なので、 
肥料を仕入れることをせず、落ち葉や木々を含めた堆肥塚を作ります。 

粉砕チッパー機、植繊機(チッパー機で細かくしたものをさらにすりつぶし繊維状にする) 
を共同で購入して使用します。もちろん竹の堆肥も作ります。 
炭を作る簡易施設、籾殻くん炭などを作る焼き場も作ります。 
温床を利用した苗場も作ります。これらの発酵熱は有効に利用し、 
ハウスなどに熱を引きこむのも良いかもしれません。 

家畜農家も誘致、もしくは近隣で契約します。食用肉、卵等はこちらでできるだけまかないます。 

家畜の飼料は、堆肥や野菜くずを提供します。 
自然と共存、無駄をすくなく自然に帰す。これが重要です。 

共同のメリットは、今はやりの集落法人と一緒で、機材、車など個人では過度な経費負担が 
最小限で済みます。たとえばトラクターなどは1年中使うものではありません。 
各農家が持つのではなく、村で持てば、費用ロスがありません。 
各世帯が共同農地と個人農地を3:7の割合?で持ち 
持ち回りの作付け分担は共同農地で行います。 

共同農地は5世帯で1圃場、ご、5人組かっ?!  
計10圃場位で分担します。 

個人農地では、好きな作付けを行い、個人家庭用の栽培を行います。 
共同農地は個人能力差や病気の時に響きますので、 

作業割合などを考慮して村内貨幣振り分けにしなければならないかもしれません。 
共同農地比は 3なので 1町をわけるとして 3反×5軒=1.5町(ヘクタール)
そのうちの 1町を村外販売用(計10町) 5反を村内流通用(計5町)にするとかもいいですね。 
・・・ 


・・・とまあ、現実性の無い適当な妄想が続きます~ 

・・・続きます~ 

が、やはりいくら考えても、相当な初期資金が必要ですね~

以前のブログより移転④ 2009-07-07 霧の中で、足元見えず・・・

今日は七夕ですが 新暦は梅雨時期なので 
天の川が見れることは少ないですね~ 

個人的には、旧暦(今年は8/26)でいいと思うんですが・・・ 


それにしても皆既日食は楽しみ~絶対晴れてくれ~ 

金環食はまだありますが、 
今回見れなかったら、次回は26年後~ 


さて話(まったく)は変わりますが 

トランス脂肪酸またはトランス型不飽和脂肪酸トランス酸って知ってます? 


アンチエイジングに興味のある方は知ってると思いますが 
いっとき不飽和脂肪酸=善玉コレステロール=体によい 
というので、マーガリンダイエットなるものもありましたが・・・ 

トランス型の不飽和脂肪酸というものは 
多量に摂取すると悪玉コレステロールを増加させ、心臓疾患のリスクを高めるようです。 

また、細胞分子から吸収がよく、細胞膜を弱くさせる働きがあるようで 
炎症因子や、アレルギー、アトピー不妊症など悪影響を及ぼす疑いがあるようです。 

免疫力の低下はさまざまな病気につながります。 

代表的なものに、マーガリンやファットスプレッドやショートニングなどがあります。
貴方の食べている、パン、スナックにはショートニングが大量に使われてませんか~ 
入ってないものを探す方が難しいですよね。揚げ物にも入ってます。 
マーガリンやショートニングは、不飽和脂肪酸から飽和脂肪酸を製造するため 

水素添加してつくります。 
子供には食べさせたくないけど、(我が家ではマーガリンは食べません)子供の好むお菓子や、 ファーストフード、給食などには多用されてます。 

これらは、バターなどのかわりにコストを安く上げるたえに使われることが多いですが 

人工的なものが、似せたものが、全ていけないわけではないですが 
なんだか食べたくないですね~ 

そもそも、トランス脂肪酸は悪いとか、オレイン酸はどうとか、知識で知っているのは 

悪いことではありませんが、体によいといわれるものでも、とりすぎてしまっては 
悪いものとされているもの以上に悪くなったりもします。 

自然のものを偏らず、自然にとっていけば、いいのではないですかね。簡単ではないですが・・・ 
悪いとされるものが 「入ってないものを探す方が難しい」 中で、、、 

ということは、優先順位として、 
自然なものを、自然にとってゆける、環境作りが大切なんですかね。

以前書いてたブログより③ 2009-7-31

生態系の中には食物連鎖という仕組みがあります。 

植物がいて、それを食べる草食動物がいて、 

草食動物を食べる肉食動物がいて・・・ 


生態系の中で、ある生物がいなくなってしまうと 

それを食物にしていた動物が影響を受け 

食物連鎖のピラミッドが崩壊してきます。 

人間も当然、この生態系の中で生きています。 

環境破壊によって生態系が崩れてくると 

私たち人間も影響を受けます。 



ではなぜ環境破壊は起こるんでしょう? 



もともと全ての動物は植物に依存してます。 

植物の再生産に組み込まれ、寄生者の立場にあります。 

太陽と水と二酸化炭素を利用して光合成をおこない 

澱粉や糖を作り、さらに窒素や各種ミネラルを組み合わせ 

蛋白質や脂肪などを作り出します。 

生産者になりえるのは植物のみ(植物性プランクトンも含む)です。 



寄生者である動物や人間は消費を行います。 

第一次消費者は、植物(生産者)を餌にする草食動物で 

草食動物を食べる肉食動物が第二次消費者です。 

 

第三次、第四次…… となりますが、第四次消費者が第一次消費者を 

食べることもありますし、雑食動物もいるのでとても複雑です。 

(一般に高次の消費者ほど個体数が少ないとされてます) 


生物の死骸や老廃物などは、他の動物に食べられたり、 

細菌、菌類などの働きによって分解されてゆきます。 

生物は有機物で構成されてますが、その有機物はやがて 

無機物と水と二酸化炭素まで分解されます。 


ここまで来て初めて、生産者である植物に利用できる状態になります。 



生産者(植物)→消費者(動物)→分解者(細菌、菌類)→・・・還元・・・生産者 


環境破壊が起こる一番の原因は、長い間機能していた生態系の枠を 

遥かに超える大量の廃棄物や、高度に発達した科学にが作った 

還元しにくい人工物質や化学物質です。 



また、資源を無駄遣いして、必要以上に木を切り開発し 

その生産の母体数の減少もあります。 

一度崩れ始めたピラミッドの修復は出来るのでしょうか? 

 


修復していかなければならないのでしょうけど・・・ 

人間が便利さを追求して得たもの、その同等以上のしっぺ返しなのでしょう。 

諸刃の刃なんですね~


環境破壊、生態系、よく考えると農業と同じですね~ 


もちろん生態系の生産を行う植物を育てるわけですから 

とても大事なことですし、ここから考えていかなければ 

はじまらないところでしょう。 

そろそろ、一時の生産性だけを考えずに、ちゃんと考えていかなければ 

大変なことになりそうです。 

以前書いていたブログより② 2009-08-08

最近本屋に行けば、若い人向けの農業雑誌や、農業特集雑誌が沢山並んでます。


ギャル社長は「イケてる農業」を提唱し,
「今からは農業の時代」と、芸能人も家庭菜園したり、身近では元カープの選手も農業をされてたりします。





景気が悪く、会社員は何時首を切られるかわからない苦痛は増えても、ボーナスは減る企業が多いです。


会社の方としても、次から次へと今までなかったようなアクシデントが続き
何時こけてしまうかもわかりません。


大手上場企業でさえ、前年は高収益を上げていても倒産したりします。

時代を読みきれないことが、アクシデントとなります。



また、最近騒がれ始めた環境問題。食の安全。自給率問題。

不安材料が増え、このままでいいの?ってなってきたんでしょうか。
農業っていいんじゃないの?

上司もいないし、やりがいがある。という若者が増えているようです。



ただ、安易にはじめると、挫折の道へ・・・


そんなに甘くはないです。





どういった農業をしていけば生き残れるのでしょうか?

と、聞かれることがしばしばあります。





農業のメリットとしましては、なにがあるでしょう?

農家は生活費の大部分が農業経費になります。


経常所得がほとんどなくても、税金控除で生活は出来るかもしれません。





私の知り合いのAさんは、所有農地6反、夫婦2人子供2人の4人家族ですが
世帯年収250万ですが、結構良い生活をされてます。

何より、自分で作った安心な野菜やお米を食べられる、それだけでも良いですね。





一方、知り合いのBさんは、大きく手を広げて農地を貸してもらい、かなりのお米を作られてます。


夫婦2人、お母さん、子供2人ですが、ご夫婦で蟻のように働いて世帯年収500万

農機具のローンを払ったら、300万弱だとか・・・

自由な時間は少ないし、つらいといわれてます。






Aさんによると、自由な時間や生活水準を落とさずに生活するには


規模を広げないこと、高い農機具を買わないこと(借金はしない)、

売り先を人に任さないことだそうです。

高い農機具を購入してしまうと、
支払いのために規模を大きくしてしまわなければあわず、
無理を行わなければならなくなります。


数年がんばった後、キツイので規模を小さくしようにも、支払いがあったらできません。


後戻りが難しくなります。(これは、普通の企業でも同じですね。)


また、規模を小さく、無駄をとことん減らしていけば少ない収入でも、お金は残ります。

(これは、個人の貯金と同じですね~)


給与がどんどん上がっていく時代ならともかく、減給、ボーナス減・・・・

今の世の中、資金の流失を防ぐことのほうが懸命だと思います。


まず現状のお金の流れを把握して、必要ない固定費になっっているものを検証し、削り・・・するだけでも、おそらく毎月の貯めれるお金はかなり違ってきます。



知らずに無駄に消えていくお金の流失を、日々検証することは大事だと思います。この事で生活レベルを極端に落とす必要はありません。


悠々自適で、自分の時間、家族と過ごす時間もたっぷりあり、


なにより楽しいとの事。




>う~ん・・このあたりにヒントがありますね!きっと!

以前書いてたのブログより・・・2009-06-12

以前書いてたのブログより・・・2009-06-12 

2009年 
6/6毎日新聞ニュースで 
「アナアオサ 異常繁殖 緑に染まる有明海」 
というのがありました。 
海藻のアナアオサが大量繁殖し、干潟が緑色に覆われているとのことです。 
以前もオリンピックの時、中国の五輪用地の海岸で 
アオコ大発生というのがありました。 
「土」の第一人者、岩田進午さんによると、 
化学肥料の多投入はそのまわりの環境に働き、高栄養化した土地、 
地下水が河川、海にくだります。 
畑などに「窒素肥料」「リン肥料」を多投入することにより、 
アオコなどが発生し、河川、海、湖、沼・・・ 
魚類を含む水生生物は壊滅的ダメージを受けます。 
また、窒素化学肥料は硝酸菌により硝酸に変化する過程で 
一酸化窒素(N2O)が作成され、大気に散出されます。 
N2Oは成層圏に達すると、原子酸素との反応でNOに代わり 
オゾン層を破壊します。 
これは驚異!!フロンガスの約200倍の破壊能力だそうです。 
窒素化学肥料の生産は 1978年→1985年で約70%UP 
なぜかその後の統計白書は見当たりませんが、 
さらに増えていることは間違いないですね。 
クリーンなイメージの農業も、 
ちゃんと生態系の維持から考えて発展させないと 
地球規模の破壊を行ってしまいます。 

現在「リン」「窒素」の価格がが高騰しています。 
使用して作物を作れば高額で販売しきれない・・・ 
こうなると生態系維持しながらの 
堆肥作りが主流になるはず。(ならざるをえないはず) 

この堆肥作りは、必須だと思います。 

見た目だけ、収量だけの農業から脱出するには 
消費者に正確な情報、価値を伝えていくことが 
一番重要です。 

有機物が微生物に分解される過程でもN2Oは発生しますが 
要は、もともとの生態系を維持できる範囲内での循環サイクルを 
作ることができればいいわけです。(これが難しいのですが) 
もともとの自然との共存を地球単位で考えるときが来ているのだと思います。 


2009-08-29



「地球規模の問題でしょ ◆

昨日のYahooニュース(毎日新聞)ですが

<N2O>オゾン層破壊の主犯「規制強化を」米研究チーム
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090828-00000024-mai-soci ;

8月28日11時16分配信 毎日新聞 

一応一部抜粋しておきます。

 肥料の使用や化学物質の製造過程で出る「亜酸化窒素(N2O)」が、現時点でオゾン層を最も破壊する物質であること・・・発表・・・N2Oは温室効果ガスとして先進国に排出規制が課せられているが、オゾン層保護の規制対象ではない。研究チームは「排出制限はオゾン層保護と温暖化抑制の両方に有益」と、厳しい規制を求めている。

・・・ チームは、人間活動に伴うN2O排出は今後も増え、21世紀最大のオゾン層破壊物質になると予測した。

 N2Oは二酸化炭素の310倍の温室効果があり・・・
 ◇ことば 亜酸化窒素(N2O)
 一酸化二窒素とも呼ばれる。窒素酸化物の一種で、自然界に存在するほか、化石燃料の燃焼や肥料の使用、硝酸など化学物質の製造過程で発生する。「笑気ガス」として歯科治療などにも使われる。大気中のN2Oが成層圏で光によって分解される際に酸化窒素(NO)ができ、それがオゾンを分解する。



わたしが6/12にブログに書いた
http://ameblo.jp/marukyo-food/entry-10309539802.html 国際的にサミットとかまでしてるのに、いまさらという感じはしますが、やっと一般的に発表されました。
化学肥料、化石燃料、もう待った無しですよ!

少年時代 6

 

(つづき)

 

 

 

 

11月の文化祭が終わると、次第に寒さは増し

小学生最高学年には受験の季節がやってくる。

国立付属中学の偏差値は70だった。

合格ラインの40位以内にケンヂは入った事がなかった。

ケンヂの最高順位は42位。

受験が近づくにつれがんばった人たちの成績は上がり始め

それにつれケンヂの順位は下がり

試験直前は46位まで落ちていた・・・

 

当然だが、なるべくして、なった・・・

桜は散った・・・というより咲いていない・・・

 

学年1位のグンボやいつも20位前後にいたオッカンは当然合格していた。

 

試験後には最後のイベント卒業式が備えていたが

ケンヂのターニングポイントスイッチは試験当日に入っていた・・・

「ああ、終わった・・・」

真っ白い世界だった・・・

それから卒業式まではほとんど記憶に無いくらいめまぐるしく、白々とした季節につつまれたまま、違う世界での出来事のように過ぎ去った・・・

 

卒業式の数日前、ケンヂは市内に出るバスに乗った・・・

バスの一番前の席にグンボが乗っていて、乗る最中に目があった。

ケンヂはグンボの顔を見て「よお」と声をかけた。

グンボは窓下を向いたままこちらを向かなかった・・・・

 

ケンヂは悲しくて、泣きそうだったけど

我慢して一番後ろの席に座った・・・・

 

 

 

永遠は刹那に変わった・・・

 

友人との別れ、初恋の人との別れ・・・

 

 

 

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記憶に残る小学時代の出来事や

影響を受けた事ははまだまだ書ききれないほどあるけど

 

 

少年時代の後半、中学時代へ・・・つづく

また暇な時にでも・・

 

4日間で20000語弱、意外と疲れました。

思い出しながら書き足し書き足しなので話があちこちに・・・

読みづらく、まとまりづらく、解りづらい 三駄文ですね~

 

 

少年時代 5

(つづき)

 

 

ケンヂが小学3年生になるまで専業主婦でいつも家にいた母も

父の始めた会社で事務経理をするようになった。小学4年生の時からケンヂはカギッ子になっていた。

兄は中学生になっていて、部活で遅くなる事が多く、ケンヂが家に一人でいる時間は多かった。

そんな時ケンヂは本やまんがを読んだり、白紙の自由帳に落書きやまんがを書いたり、空想の話を書いたりする事が多かった。

 ケンヂは他の生徒のようには勉強をしなかったし、国語の成績も小学1年から6年まで通して『ウ』(下から2番目)だったが、本を読む事は大好きだった。

学校の図書室の貸し出し可能な本の『貸出票』の半分にはケンヂの名前が書いてあった。

夏休みには14冊まで本を借りる事ができたが、読み終わるとまた学校に何度も借りに行った。夏休みでも週何日か図書の先生がいて貸し出し可能だった。夏休みは学校のプールで水泳教室があったので、プールのあとよく借りに行った。

 

図書の先生は優しい若い女の先生で、ケンヂに色々な本を紹介してくれた。ケンヂの学校の先生のほとんどは男の先生で、女の先生は数人しかいなかった。この図書の女の先生と保険の女の先生のお気に入りの生徒だった。

6年生の時、皆受験勉強をするため授業が終わると、足早に家に帰るようになった。

ケンヂは家に帰っても一人ぼっちなので、下校ギリギリまで学校の裏庭の大きなプラタナスやポプラの木がある人目につかない場所で、落ち葉の上に寝転がり本を読むことが多くなった。

土曜日なんかも誰もいない裏庭で日が暮れるまで一人本を読んだ。そのまま寝てしまい夜7時ごろ目が覚め、あわてて帰ったこともある。

 

当時、共働きの家は少なく、学校で体調が悪くなったりしたら家に帰っても誰もいないので、下校時間が過ぎても、母が迎えに来るまで保健室で休ませてもらったりした。

たまに放課後保健室の前を歩いていたら、保健の先生に呼び止められ、「内緒よ」と、奥の先生の部屋でこっそり紅茶とお菓子を頂いた。

 

文化祭の時、各自どこかの班に入り全校生徒の前で班ごとに発表するというのがあった。ケンヂは保険班になった。保健班では(男子4人女子3人の班で)出し物劇をすることになった。主役の男の子の役だったのだが、前日に女の子の役に保健の先生が変えてしまった。ケンヂは当然激しく反対したが、「やってみんさいよ」と先生を含む班員に押し切られた・・・

小学時代のケンヂは線が細く、女の子のような顔立ちだった。取り巻きの下級生の女の子には「かわいい顔」と呼ばれていた。

当日、先生の用意したウィッグと班の女子の可愛らしいドレスのような服をわたされ、化粧までされて女の子の台詞を練習させられた・・・直前まで・・・

ケンヂはアガリ症で赤面症で・・・人前に出る事自体苦手なのだが・・・女の子の恰好で女の子の台詞で、歌までとは・・・

保健班のメンバーには「ぜったいワシだって事言うなよ!」と念をおした。

本番・・・緊張を通り越していたが、先生を呪い、班員を呪い、爆笑覚悟で舞台に立った。

照明が厚く眩しく・・・クラクラしてきた・・・

勇気を出し、女の子になりきり演じた・・・

 

割れんばかりのすごい拍手だった・・・

ケンヂは気を失いそうだった。

当時のケンヂはボーイソプラノのような声だったので本番・・・・誰にも男だと思っていなかったようだ。

 

出し物が終わると、急いで保健の先生と保健室に駆け込みウィッグをとり、服を着替えた。

はずかしさと緊張が一気に取れて、涙がぽろぽろ出てきた。

化粧を落としながら先生に涙を見られないようにした。

先生は頭をなでてくれて、「よくやったね」と言い優しく微笑んだ。

涙がぽろぽろまた零れ落ちた・・・

泣きながら先生の出してくれた紅茶とクッキーを食べた・・・

どうして先生がこんな事をさせたのか理解できなかった。

 

でもケンヂは心の中で先生を許した・・・

 

後であの女子は誰だったんだ?と、うわさになっていた。

ケンヂは知らないフリを通したが、保健班の女の子達が意味深げに「さあ誰かね~」とケンヂの方を見て目配せするものだから、すぐにばれてしまった・・・

ケンヂと知れた後は、男子にはからかわれ、女子からは大賞賛を受けた。取り巻きの下級生女子にもしばらく、格好の追っかけの材料にされた。

 

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5・6年の時の担任はK先生と言う国語の先生だった。

K先生はケンヂの父と同い年で、厳格だが優しい先生だった。

先生は8歳の時、広島原爆で被爆され、お姉さんをなくされた。爆風で家がつぶれて、先生は家の柱と柱の間で助かり、同じ部屋にいたお姉さんは亡くなられた。

広島の学校では平和教育が盛んに行われる。先生の話や平和教育で見る映像や被爆者の体験談、「はだしのゲン」など図書室で読んだ原爆漫画や本は、またいつか話すが、ケンヂに心的外傷を与えた・・

 

発想法で知られる、川喜多次郎という文化人類学者が考え出した、データをカード化して、頭脳地図のようなダイヤグラムを用いまとめるために考案した手法、『KJ法』を当時から授業で実践したりしていた。他校からこの授業を見るために何度も大勢の先生が授業参観に訪れた。また、音読暗誦を盛んに行い、小学生ながら、夏目漱石の『草枕』の冒頭文や宮沢賢治の『永訣の朝』などを覚えさせたり、『百人一首』を全部覚えさせたりした。

朝礼では、男女各一人3分間スピーチがあったり、壁新聞を毎週書かせたり、毎朝日記を提出させ、帰る前までに必ず全員の日記にコメントを残し返却したり、自分で考えさせ、書かせることに力を入れている熱心な先生だった。

 

先生の好きな作家、井上靖の『天平の甍』が映画上映された時などは、「きっと今後の人生でみんなの力になる」と、クラス全員を自費で映画館に連れて行ったりした。長い長い話で、小学生には半分くらいしか理解できなかったが、強烈な映像が頭に残り、大人になったあとだが、思い返し、ケンヂはこの話の原作を読んだり、映画も見返したりした。

 

『自由研究』の授業で『まんが研究』を許可、応援してくれたのもK先生だった。

受験生なのに家でまんがを描いていると、いつも親に怒られた。

先生は「勉強だけが小学生に必要で大切な事ではない。色々な才能の伸ばし方は無限にあり、勉強はやる気になれば、今後、いつでもどこででもやる事ができる」と親を説得してくれたりした。ケンヂには才能が無かったわけだが、当時、才能を信じてくれた感謝すべき恩師だ。

 

 

ついでに『まんが研究班』のTくんの話をしよう。

この班に最後に入ってきた Tくんと言う子がいた。

Tくんは勉強が苦手で、成績も下から数えた方が早かった。

Tくんとはそれまで殆どはなした事が無く、まんがを描いたりするとは思わなかった、班に入ったのを機に仲良くなった。

Tくんはアイデアや画力に秀で、完成させたまんがは小学生のものとは思えない出来だった。ケンヂ達他のメンバーの遥か上を行っていた。

Tくんのまんがをみてケンヂは自分の才能の無さを思い知らされ、挫折し羨んだ。

 

まんがの発表の場である文化祭の終わったすぐ後、Tくんのお父さんが交通事故で亡くなられ、4人兄弟の長男のTくんの生活はがらりと変わった。

お葬式の日、Tくんはまだ小さい弟達の泣き叫ぶ中真っ赤な目で涙をこらえ、強い意志を前面に出していた・・・

ケンヂはそれまで身内や知り合いの『死』を経験した事が無く

絶望の中歯を食いしばるTの本当の辛さが解ってはいなかった。

Tくんは、それ以降、早朝からアルバイトをして、小学生なのに立派に『お父さん』していた。

学校では疲れて寝ている事が多かったし、休みがちになったが、愚痴一つ言わず立派だった。

 

皆より早くターニングポイントが来たのだ。

 

ケンヂ達は気の利いた言葉もろくにかけれ無かったが、一生懸命応援していた・・・

 

 

 

少年時代 4

 

(つづき)

 

神社の下の広場は真っ暗で、当然だが人気が無かった。目を凝らしてオッカンを探し広場の隅や木の陰を覗いたが、人の気配は感じられなかった。懐中電灯で照らし、隅々まで探した。

「オッカン起きれなかったのかなぁ・・・」

急に一人で暗闇の中にいる事が怖くなってきた。夏の生ぬるい空気に鳥肌が立った。

信用していたグンボもオッカンも来なかったという絶望は、ケンヂの頭から肩に重くのしかかり、ぐいと後ろに引き倒した・・・思わずその場にしりもちをついた・・・

湿気た土の妙な感触が嫌だった・・・

カサカサ虫が動いてるような音がした・・・

ケンヂは今にも泣き出しそうだった。

家から神社まで10分程の距離だが、ここにたどり着くまでの10分はいつものそれとは違い、長い長い道のり・・・

これから一人で帰るということはとてつもなく絶望の闇のなかで、家は遥か彼方に思えた・・・

ケンヂが途方にくれていると、鳥居から続く階段の先の闇に一瞬何かオレンジ色に光るものが見えた。

ケンヂは立ち上がり、お尻をはたいて階段を駆け上がった。

階段を登りきった先の境内の右脇から山に続く場所に、オッカンがいた。オッカンは懐中電灯と虫篭を持ちリュックを背負っていて、ケンヂを見て「早くついたから先に登ってた」と言い、ニコリと笑った。

グンボが来なかったことを知り、「あれだけ約束したのに、ゆるせん!」と怒っていたが、すぐにいつものオッカンに戻り「ヤニ蜜のでるめぼしい木はわかってるから、そこから探そう」と山に入っていった。ケンヂはさっきまで泣きそうだったことを悟られまいと下を向いて後を追った・・・

夜明け前の山はケンヂの想像以上真っ暗だった。懐中電灯の照らす弱弱しいオレンジ色の光は、すぐ前にある木々で遮られてしまい、その木の影と漆黒の暗闇が混ざり、いつも通っていた何気ない当たり前の山道を覆い隠し、どこを進んでいるのかわからなくした。それでも数箇所のヤニ蜜ポイントにたどり着けたが、蝶やカナブン、ハチしかいなかった。

そのまま暗闇の山中を以前作った秘密基地目指して進んだ。

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オッカンの後を追いながら、もはやどこを進んでいるのかわからないまま随分歩き続けた。寄って来る蚊や蛾と格闘しながら見失しなうまいと足場の悪い山中を急いだ。

その時突然大きな羽音をたてて、大きなカマキリムシのようなものがオッカンとケンヂがいる方をめがけて飛んできた。それは通常見るカマキリより遥かに大きくこちらに向かって飛んでくるので、驚き、二人は慌てふためき逃げ回った。闇雲に見えない闇を走り、木にぶつかり崖のようなところを二人は滑り落ちた・・・

辺りは夜が明け始め、漆黒の闇は薄暗い朝を迎えた・・・

ケンヂ達が滑り止ったのは45センチほどにそろえて笹を打ち込み作った柵だった。柵の下は急な崖になっていて数メートル下に民家の屋根が見えた。柵を乗り越えて落ちたら、ケンヂ達は助からなかっただろう・・・

ケンヂ達は滑り落ちた崖を登り神社に戻り石段を降りた。

その間二人はほとんどしゃべらなかった・・・しゃべれなかったのだ。

オッカンを家まで送り、簡単な挨拶をかわし、呆然としたまま家に向かった。もうすっかり夜は明けていた・・・

どろどろに汚れて気の抜けたまま家に着くと、玄関前に母が険しい顔をして立っていた。

散々怒られたはずなのだが、まだ呆然さめやら無いままだったので、怒られた時の記憶が無い。

 

グンボとは5年生のクラス分けで別々になった。

6年生のある日、休憩時間にプリントを隣のクラスに持っていくよう頼まれてそれを持って行った。プリントを渡して、グンボが座って本を読んでいるのが見えたので

「グンボー久しぶり~」と近づき、いつもしていたように、グンボの首に手を絡めた・・・

するとこのクラスで柔道を習っているUくんがいきなりケンヂの腕をつかみ背負い投げをした。

投げ飛ばされ馬乗りになられた。これが三度目の馬乗り事件だ。

「よそのクラス来てなにいじめよんや~」

馬乗りで身動きが取れなかった。

ケンヂはグンボの方を向き「いじめとんじゃないよな~?」といったが、グンボはそっぽを向いたままだった・・・

休憩の終わりを告げるチャイムがなり、Uくんはケンヂから離れた。ケンヂはグンボの行動のわけがわからないまま・・・クラスに戻った・・・

 

 

 

小学生のころのケンヂは足が速くスポーツは大体何でもこなした。

活躍できるので、運動会が大好きだった。小学1年生の時から5年生までクラス代表のリレー選手をしていた。5年生の時膝を怪我してしまい、それ以降は早く走るのが怖くなり手を抜いて走っていた。

6年生の運動会は、応援団副団長に選ばれ、特に気合が入っていた。

5・6年生男子の行う騎馬戦が、運動会最大の見せ場であり、最後の種目だった。この小学校の騎馬戦は最初に5分間落としあい、騎馬の崩しあいがあり、そこで残った騎馬がハチマキを奪い合う一騎打ちを行う・・・

ケンヂは体重が軽かったし、運動能力が高かったので大将から数えて4番目の騎馬の上に乗っていた。大将騎馬の方から大きい順に並び、一騎打ちは低い騎馬から順に勝ち抜き戦を戦う。

予行練習ではケンヂはいつも3騎馬勝ち抜きで、4騎馬目のUくんが上に乗る騎馬に負けていた。どうしてもUくんには負けたくなかった。

 

いよいよ本番が始まった。落としあいは無理に仕掛けず、いつも通り乗り切りった。

一騎打ちの3番手だった。味方の1番手2番手が練習と違いあっさりハチマキとられてすぐに順番が回ってきた。

ケンヂは4騎馬連続で勝ち抜いた。いつも勝っている相手だ。

5騎馬目に勝てないUの騎馬が来た・・・かなり激しい攻防だった。

攻防の末、初めてケンヂはUくんのハチマキを取った。

その後も奇跡的に、7騎馬勝ち抜き・・・大将騎馬まで来た。

われんばかりの声援が聞こえてきた・・・

大将騎馬とは大人と子供位のガタイの違いがあった。

一騎打ちが始まり、力でねじ伏せられ・・・完敗・・・

でもその年のケンヂは、運動会一のヒーローだった。

運動会の後 Uくんが来て

「強かったね~負けたよ」

と爽やかに言って来て握手をした。

もともとUくんは爽やかな奴なんだ。

 

笑える話だが、運動会後、同級生の女子にはモテ無かったが、下級生女子にケンヂファンクラブが出来て取り囲まれたり追いかけられたりした。一生分のモテ期が来たのではないかと思うほどだった。(違いない・・)

バレンタインでチョコレートなんて今までもらった事が無かったのに、その年は紙袋いっぱいになるほどもらった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年時代 3

 

(つづき)

 

 

オッカンは最初、学校の帰りに通る道順がケンヂ達とは違っていたので、家が近い事を知らなかった。入学後数ヶ月が経ち、家が近いことがわかり、一緒に帰りだして仲良くなった。

背が前から2番目と小さかったが、明るく活発でグイグイ人を引っ張っていくような性格だった。小学1年から6年まで同じクラスで、一番の仲良しになった。

 

オッカンの家は一軒屋でよく遊びに行った。可愛らしい妹がいたが遊びに行くとオッカンが追い出して二人でゲームをしたり本を読んだりして遊んだ。オッカンの妹が買っていた少女マンガの雑誌なんかも読んだりした。

オッカンのお母さんはセンスの良いお嬢様育ちな感じの人で、モダンで若かった。遊びに行くと、たまに手作りのおやつを出してくれた。甘いメレンゲムースのレモンソースケーキは絶品で、それまでおやつというものをほとんど口にした事がないケンヂを魅了した。

 

オッカンは当時珍しくサッカーボールを持っていて、よく公園でサッカーをして遊んだ。

ケンヂの家の近くの公園で二人でサッカーをしてたところ、後から公園に遊びに来た別の学校の小中学生15~6人に絡まれたことがあった。

ケンヂは大きな中学生数人に羽交い絞めにされ、殴られたりボールをぶつけられたり、投げ飛ばされたりして、馬乗りになられた。ケンヂはめいいっぱい抵抗したが、大きな中学生には力ではかなわなかった。

そのときオッカンが走り去るのが横目に見えた・・・え??

「お前の友だち見捨ててにげたで~」

馬乗りになり笑っている中学生に腹が立ち、手に思いっきり噛み付いた・・・

「いたたた・・・はなせ!!」

ケンヂは更に強く噛み続けた・・・

鉄のような味がしてきた・・・

周りにいた小中学生から蹴られたりしたが離さなかった。

噛み付かれた中学生は泣いていた・・・

その時、オッカンがケンヂの母を連れて走って戻ってきた。

「こら!」フライパンを振りかざし走ってくる母を横目に見ながら、サザエさんみたいだなぁ・・・となんとなく思った。

オッカンはケンヂを見捨ててはいなかった。

小中学生は一目散で逃げた。手からすこし血が出ていた中学生も噛み付いていたケンヂを振りほどき逃げていった・・・

この話は、翌日学校でクラスメートに知れ渡り(オッカンにより)、皆から英雄視されるとともに、「狂犬病」とか「ケン犬」とかいう渾名に変わった。

あまりいい気はしなかったが「スッポンよりましだろ~」と言われ、渾名を快く受け入れた。

 

ケンヂは小学生時代三度馬乗りになられた経験がある。

温和でお調子者だったし、決して喧嘩が好きなわけではない。

二度目は小学6年生の時だった。

当時図書委員と校舎整備委員をやっていたのだが、選挙で委員長副委員長を選ぶ時、立候補していないのに推薦でケンヂの名前が出た。校舎整備委員は他に推薦される人も無くすんなり副委員長になった。図書委員の選挙の時、副委員長に幼稚園時代から9年間同じクラスだった友だち、Nくんが立候補した。Nくんはクラスで一番小さく「チビ」と言う渾名だった。(悪気があっての渾名ではない)

当然立候補優先だろうと思っていたら、なぜか多数決でケンヂに決まった・・・Nくんは下を向いて悔しそうだった。

ケンヂはクラスの班長、総合学習の班長など、立候補しないのになぜかよく選ばれた。

図書委員選挙の数日後廊下でNくんがほかの子と歩いていたので、オッカンと

「おう!ちび~」と言って背中をトンと叩き追い抜かした・・・・次の瞬間、後頭部にNくんが殴りかかってきた。

いきなりだったので防御も出来ず、何度も殴られたまま馬乗りになられ、髪の毛をつかまれ床に何度もゴンゴン打ち付けられた。ケンヂはわけのわからぬまま殴られる状況を打破しようと、N君の髪を引っ張りながら、爪を立てて鷲づかみにした。ケンヂは握力が強く爪を立てていたところに血がにじんでいた。Nくんが泣いていても離さなかった・・・その時先生が来て引き離された。右手の指には血、左手の指には抜けた髪の毛がついていた・・・

Nくんは泣いていたが、ケンヂは喧嘩では泣かなかった・・・

先生はオッカンや周りにいた子から状況を聞き、怒らず二人を保健室に連れて行ってくれた。

 

その日の夜、家にNくんのお母さんがNくんをつれて怒鳴り込んで来た。

ケンヂは学校から帰るとその日は早い時間から疲れて寝ていたのだが、甲高い怒鳴り声で目が覚めた。

オッカンが「Nが先に手を出してきた」ということと、「頭をガンガン床に打ちつけられてたので、ケンヂが死ぬんじゃないかと思った」と言うことを、母に電話で話していてくれてたので、ケンヂは叱られることはなく

「家の子も顔があざだらけではれてるし、子供の喧嘩ですから・・・」と言って追い返しているのが玄関の方から聞こえてきた。

追い返しているのを聞きながら、ケンヂは、何でNくんがあんなに怒ったのか? を考えてみたが、「チビ」と言ったせいなのか?「図書委員副委員長」のせいなのか、やはりわからないでいた・・・が、一応反省して今後「Nくん」と呼ぶことにしようとのんきに考えていた・・・

  

 

夏休みにはオッカンと、近所の山のふもとにある神社『大判神社』と、その裏山に登ってよく遊んだ。神社境内の上から登り、山に入り道無き道を歩き回り、竹の子を掘ったり、木苺をみつけて食べたり、蝉やカブトムシやクワガタを捕ったり、木に登ったり、木々をツルで縛って屋根を作り、落ち葉を乗せて秘密基地を作ったりした。たまにグンボも呼んであそんだ。オッカンとは当時カブスカウトに一緒に通っていたので、アウトドアの知識はある程度持っていて、山は恰好の遊び場だった。

 

夏休みのある日、オッカンが

「グンボも誘って、夜明け前、朝5時に大判神社に集合してからカブトムシを捕りにいこう !」と言ってきた。

薄暗い山でカブトムシを捕る姿を想像して、どうしても行きたくなった。

一番遠いグンボが4時45分に家に来て、5時に大判神社に行くことにした。

親にその話をしたが、許してくれるはずも無くこっそり抜けだす事にした。

その日は、気づかれないように懐中電灯やビニール袋などをカバンに詰め準備し、早めに寝た。

朝3時には目が覚めた。様子を伺いながら抜け出す時間を待った・・・

4時半に気づかれぬようこっそり抜け出し、アパートの階段の下に隠れて、グンボを待った・・・

外は真っ暗でシンと静まり返って・・・人に見つかるかもしれないという緊張感でドキドキした。

時間が過ぎてもグンボは現れなかった・・

仕方が無いので、一人大判神社への道を人目につかぬよう急いだ・・・

暗い夜明け前に家を抜け出すのは初めてで、小学生のケンヂにとっては大冒険だった。

今と違い、当時はコンビニなんて無かったし、月明かりと街灯の明かりしかなかった。人目につくといけないので、街灯のある道は避けて月明かりで道を急いだ・・・

トムソーヤさながら、ドキドキしながらワクワクしながら大判神社に到着した。

  

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少年時代 2

(つづき)

 

貧乏だったが、長男の教育には父母も力を入れていた。兄は小学校に入った年からピアノを習い、3年生からは習字とそろばんを習い始めた。どれも能力を発揮し特にそろばんは6年で段を持っていた。ケンヂもそろばんだけ小学3年生のとき1年だけならいにいった。習い始めて1年後の最初の試験でそろばん2級暗算3級をとったが、先生が高齢でそろばん塾を閉めたので、1年だけしか出来なかった。

 

兄は順当に国立大付属中学に合格し、入学時に当時はやっていたデジタルの時計と新しい自転車を入学祝で買ってもらった。当時はとてもうらやましかった。ケンヂは不合格だったので買ってもらえず、中学入学時に人生初の自転車と時計を今まで貯めていた自分のお年玉で買った。兄は中学入学からお小遣いを月2千円もらっていたが、ケンヂは高校三年生になるまでお小遣いをもらったことが無い。中学入学から新聞の朝刊配達を行って、お小遣いを自分で稼いだ・・・その話はまだ後の話だが・・・

 

子供のころは、家だけでなく知り合いの家、親戚の家、学校・・・いつでも兄と比較され、その度に嫌なみじめな気分になっていた・・・兄がうらやましかったけど、嫌いだった。

 

 

 

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        少年期2   小学生時代

 

 

小学校が特殊な学校だったのでその説明から始めよう。

ケンヂの小学校は国立大の付属小学校で、国立大学教育学部付属小学校・・・と教育学部という名前が学校名に入り、大学の教育学部の実験校だった。当時県下ナンバーワンの進学校で6年生の時毎週日曜日に行われる県内公開模擬試験「日曜テスト」では1位~30位までほぼ独占状態という学校だった。

 

当時のお受験は知能指数IQテストと積み木や簡単な算数のテスト、そして面接だったと記憶している。IQは後から聞いた話だが158で1番だったらしい。IQが10以上ケンヂより低かった兄が学年テストで常に1番だったため学校の先生からは妙な期待をもたれていた。教育開発のモルモットだったのである。3年生の時兄の担任の先生に呼び出されてそんな話をされた。その兄の担任はあきれた感じで「お兄さんはべんきょうができるのにねぇ・・」といった。今でもその時の絶望感は忘れられない・・

 

この学校は普通の小学校とは少々違う教育方法を色々試験的に行っていた。少数精鋭で、各学年2クラスしかなく、「6年1組」とかではなく「1部6年、2部6年」というクラスわけがしてあった。「1部」と「2部」では教育方法がおそらく違ったのだろうけど、ケンヂは小学1年生から6年生まで「1部」だったので、どのように違うのかはわからない。担任の先生も1年から4年まで同じ先生、5年6年に違う先生に代わり小学時代通して2人の担任の先生で一貫した教育を行った。数ヶ月ごとに研究授業というのがあり、他校の先生方が30~40人授業を見に来たりしていた。

 

テストも他の小学校とは違い、国語は教科書で教わった所が試験に出るのではなく、まったく読んだ事がない文章を読み、そこから出題される。算数は6年生の時に中学2年生の数学で習うあたりまで学習した。ケンヂは勉強嫌いで体育や美術(造形という学科だった)音楽以外は4段階評価の下から2番目がほとんどだった。1学年76人中大体45~55番位の成績だった。(小学校では落ちこぼれに近い成績だったが、公立中学に入学すると勉強しなくても学年3位に入ることが出来た)

 

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5年生になると毎週金曜日に「総合学習」という授業が2時限行われ5年~6年生2学年で班を作り・・・という風に、2学年共同作業で行われた。連凧を作ったり、縄跳びを練習して大会を行ったり、百人一首を覚えて百人一首大会を行ったり、校庭に大規模なアスレチックをつくったり・・・学期ごとにイベントがあった。

毎週土曜日には2時限「自由研究」という授業があり、各自、期のはじめに自分で課題を決めそれを調べたりして期末に発表する・・・という自己課題学習で自由度が高く楽しいものだった。小学6年生の時、ケンヂが「まんが研究」をしたいと先生に行ったところOKがでたので、他の男子3人、女子2人も便乗してきて、まんがの描き方を勉強してまんがを書いて提出した。当時ケンヂはまんがが好きでまんが家志望だった。友達の家に泊まり「まんが合宿」を行ったり楽しいものだった。担任の先生は応援してくださり、それを製本して文化祭で生徒が読めるように展示してくれたりした。こんな風変わりな学校だった。もちろんケンヂはこのときまんがの才能がない事に気がついたわけだが・・・

 

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教育実習も年2回行われ、各クラス10人近いの大学教育学部の大学生が2週間にわたりやってきた。大学が小学校の近くにあったので、実習生は皆学校の近所に住んでいるので、よく実習生の家に数人でいったりして遊んでもらった。みんな四畳半一間のアパートに住んでいて、質素な生活をしていたが、安い鶏肉を買ってきてホットプレートで焼いて食べたり、当時はやっていたサザンオールスターズやツイストのレコードを聞かせてもらったり、手塚治虫の「火の鳥」の漫画をいただいたり、近所の公園で「ケイドロ」をして遊んだり・・・当時の小学生から見れば、とてつもなく自由で大人で楽しそうな生活に見えた。

こんな変わった学校だったが、楽しかった。

 

 

 

ケンヂの家は小学校から徒歩で1キロほどのところにあった。前にも書いたがケンヂの家の近く住んでいた男子のクラスメートは二人しかいなかったので、その二人『グンボ』と『オッカン』は当然遊び、仲良くなった。

 

最初に仲良くなったのはグンボだった。学校の帰り道が一緒だったので、一緒に帰りはじめた。体が大きかったが、おとなしく気が弱く無口で運動が苦手だった。母親が教育熱心でクラス一の秀才だったが、テストで100点がとれなときは泣いていて可哀そうだった。

自転車も母親が「危ないから」と「友だちの自転車にも乗らせないでくれ」と言って来た。グンボには2つ年上の姉がいたが、姉は活発で自転車に乗って遊びに行ったりしていた。

ケンヂもグンボも空想好きで本を読むのが大好きだった。よく物話を作って話しあったりなぞなどを出し合ったりして遊んだ。

グンボの家は小さな商店街の金物屋だった。グンボのおじいちゃんの三畳の部屋でよく遊んだ。おじいちゃんの部屋の前には小さな庭と池があり、雨の日なんか忍び込んでよく庭を眺めながら楽しい事を話したり将棋をしたりした。将棋では兄に鍛えたれていたので、グンボが秀才でも滅多に負けなかった。グンボとおじいちゃんの部屋には本がたくさんあり、大きな虫眼鏡や古銭のアルバムがあった。グンボのおじいちゃんの部屋で遊ぶのが大好きだった。

お母さんがやってくると、グンボは緊張して話をしなくなる。お母さんには会うたびテストの点とか、成績とか、兄の勉強方法とか家のことを聞かれた。 遊ぶ約束をしていても勉強があるからと遊ばせてもらえないこともよくあった。ケンヂもグンボのお母さんは苦手だった。

グンボは操り糸の見える人形だった。グンボとは小学1年から4年まで同じクラスだったので本当に仲が良かった。と思っていた。

 

 

 

 

 

 

ケンヂの物語     序~少年時代 1

 

 

 

 

 

                 序

 

 

 

最後の時期が近づいてるのがはっきりとわかる”瞬間”ってあるよね?

 

たとえば、学校の卒業時期・・・いままで同じ場所で勉強したり遊んだりしていた仲間と別れ別れになる前の時期

 

別れ別れになることは当然わかっている事実だけど

それはまだ現実味の無い別世界であり

避けて通りたいキモチが高まれば高まるほど、頭の中は自動的に現実逃避したがり

永遠に”今”が今後も続いていくような錯覚をおこしたまま、生活が続いて行く。

妙に色あせた時期で時間もゆっくりと流れて行く・・・

 

”その瞬間”はある日突然やってくる。

 

”永遠の今”の壁は突然微塵に打ち壊され

止まっていた時計がまた正確に時を刻み始める・・・

 

「ああ、もう終わりなんだなぁ・・・」

 

生活はその日から一転し

”今”の終焉へと向かっていく・・・

 

”その瞬間”は人生の中のひとつのターニングポイントであり

”その瞬間”が訪れると、短期間で生活が劇的に変わっていく・・・

なにか世の中のベクトルのようなものに皆方向と力を決められて流されていく感じ・・・

 

 終わりは始まり・・・・

 

次にガラガラポンで始まった世界はやがて時が経ちまた終わりを迎える・・・ 

 人生の中でその瞬間は何度も訪れる。

 

 

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           少年期1

 

 

 

ケンヂは昭和42年の夏に広島で生まれた。

予定日より2週間位早く生まれたので、未熟児で最初のひと月は保育器ですごした。其の病院の部屋の壁に「ケンコウユウリョウジ」という垂れ幕がかかっていたらしくケン*******ジ(ケンヂ)という名前になったらしい。安易だけどおかげで健康に育った。

 

ケンヂには三歳年上の兄がいる。

 仲はあまり良くない。

 

ケンヂの両親はそろってお隣山口県の生まれで、戦時中は広島にはいなかったので被爆していない。

父は6男4女の5男坊、母は1男2女の長女。

昭和36年に結婚したあと昭和38年に会社を経営している叔父を頼り広島へ・・・

叔父の家の2階の2部屋を借りて生活した。

幼子でも解るほど母はよく叔母にいじめられていた。

 

 

父は仕事のできる人だったので数年で会社に大きな利益を与え専務になったが、叔父の息子が成長して跡取りとして会社に入ると叔父との関係がうまくいかなくなり退社した。

ケンヂが小学校に上がる年、15坪ほどの倉庫を借りて、ブロックとコンクリートを使用して自分でで釜を作り、一人で食品加工の個人会社を始めた。

 

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当時は生活が苦しく、親子四人で [6畳、4畳半、1K] の家賃2万円の小さなアパートで質素な生活を開始した。それでも母はいぢめにあわないのでにこにこしていた。

ケンヂはそれが一番嬉しかった。

 

父は仕事が終わって帰ってくると風呂に入り食事の後よくマージャンやパチンコをしに出かけていった。博才があったみたいで、あたらしい仕事がまだお金にならない時期は、ギャンブルの儲けで暮らしていたらしい。休みの日はいつもゴロゴロ寝ていて遊んでくれなかった。家族旅行も近場に日帰りで2度しか行った事がない。

 

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兄は勉強が出来ていつも学年でトップだったので父のお気に入りだった。兄弟でうるさくしていたり喧嘩したりしてたら、「お前が悪い」といつもケンヂを殴った。兄はほとんど殴られた事がない。ケンヂは父が怖く近寄らないようにしていた。

 

母は結婚前、地元の洋裁店で働いていたのでケンヂの服はほとんど母の手作り。正確に言えば、貧乏なのでケンヂの服は母の手作りだけど兄のお下がりでもあり、長ズボンの膝の部分は穴が開いたものを補修したあとがあった。友だちにからかわれたりもしたこともあったけど、そのことを母に話すと悲しい顔をしたので2度と言わなかった。不憫に思い無理してズボンは丈夫なジーパンを買ってくれるようになった。貧乏な家庭はそういう時代でもあった。

 

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物心ついたころから、子供ながらに家は貧乏・・・とわかっていたので、物をねだったりという事はしたことが無い。近所の子が、超合金のロボットのおもちゃなんかをもって公園の砂場なんかで遊んでいたりしたら羨ましかったけど、グリコのおまけや数台のミニカー、トランプ、将棋位しかもっていなかった。だから遊びといえば近所や山で虫を採ったり、ガラクタや木を集めて秘密基地を作ったり、家のそばの人のいないトタン屋根の木材置き場で木の板や破片で遊ぶことが多かった。

 

兄もケンヂも学費が安いという事でお受験をして地元の国立小学校に進学した。

国立の小学校は県全域から生徒が集まっているので、1キロ以内の近所には、同窓生の男の子は2人しかいなくその友だちと山に行って遊ぶか、家で本や漫画を読む(同じ本を何度も何度も)ことが多かった。兄には1キロ以内に住んでいる同窓生はいなかったようだ。

 

自転車も買う余裕が無かったので、友達の自転車のあとを走っておいかけた。兄は小学4年生の時に、知り合いの子のお下がりの自転車をもらったけど、一度も使わせてくれなかった。基本兄は運動音痴で外で遊ばずに家で百科事典や図書館で借りてきた本ばかり読んでいて、ほとんど自転車に乗らなかったにもかかわらず・・・ドケチなのだ。たまにトランプや将棋をする程度しか一緒に遊んだ事がない。当時は勉強が出来ないケンヂのことを「バカケン」と呼んでいた。

 

こづかいも貰っていなかったので、物を買う時はお年玉だけが頼りだった。お年玉の大半はプラモデルや漫画、本など後に残るものに使った。買い食いとかは滅多にしなかったので、友達が駄菓子屋に行っても店の外で見てるだけだった。