ケンヂのきもち

まずは自分を知らなきゃね~

ケンヂの物語     序~少年時代 1

 

 

 

 

 

                 序

 

 

 

最後の時期が近づいてるのがはっきりとわかる”瞬間”ってあるよね?

 

たとえば、学校の卒業時期・・・いままで同じ場所で勉強したり遊んだりしていた仲間と別れ別れになる前の時期

 

別れ別れになることは当然わかっている事実だけど

それはまだ現実味の無い別世界であり

避けて通りたいキモチが高まれば高まるほど、頭の中は自動的に現実逃避したがり

永遠に”今”が今後も続いていくような錯覚をおこしたまま、生活が続いて行く。

妙に色あせた時期で時間もゆっくりと流れて行く・・・

 

”その瞬間”はある日突然やってくる。

 

”永遠の今”の壁は突然微塵に打ち壊され

止まっていた時計がまた正確に時を刻み始める・・・

 

「ああ、もう終わりなんだなぁ・・・」

 

生活はその日から一転し

”今”の終焉へと向かっていく・・・

 

”その瞬間”は人生の中のひとつのターニングポイントであり

”その瞬間”が訪れると、短期間で生活が劇的に変わっていく・・・

なにか世の中のベクトルのようなものに皆方向と力を決められて流されていく感じ・・・

 

 終わりは始まり・・・・

 

次にガラガラポンで始まった世界はやがて時が経ちまた終わりを迎える・・・ 

 人生の中でその瞬間は何度も訪れる。

 

 

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           少年期1

 

 

 

ケンヂは昭和42年の夏に広島で生まれた。

予定日より2週間位早く生まれたので、未熟児で最初のひと月は保育器ですごした。其の病院の部屋の壁に「ケンコウユウリョウジ」という垂れ幕がかかっていたらしくケン*******ジ(ケンヂ)という名前になったらしい。安易だけどおかげで健康に育った。

 

ケンヂには三歳年上の兄がいる。

 仲はあまり良くない。

 

ケンヂの両親はそろってお隣山口県の生まれで、戦時中は広島にはいなかったので被爆していない。

父は6男4女の5男坊、母は1男2女の長女。

昭和36年に結婚したあと昭和38年に会社を経営している叔父を頼り広島へ・・・

叔父の家の2階の2部屋を借りて生活した。

幼子でも解るほど母はよく叔母にいじめられていた。

 

 

父は仕事のできる人だったので数年で会社に大きな利益を与え専務になったが、叔父の息子が成長して跡取りとして会社に入ると叔父との関係がうまくいかなくなり退社した。

ケンヂが小学校に上がる年、15坪ほどの倉庫を借りて、ブロックとコンクリートを使用して自分でで釜を作り、一人で食品加工の個人会社を始めた。

 

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当時は生活が苦しく、親子四人で [6畳、4畳半、1K] の家賃2万円の小さなアパートで質素な生活を開始した。それでも母はいぢめにあわないのでにこにこしていた。

ケンヂはそれが一番嬉しかった。

 

父は仕事が終わって帰ってくると風呂に入り食事の後よくマージャンやパチンコをしに出かけていった。博才があったみたいで、あたらしい仕事がまだお金にならない時期は、ギャンブルの儲けで暮らしていたらしい。休みの日はいつもゴロゴロ寝ていて遊んでくれなかった。家族旅行も近場に日帰りで2度しか行った事がない。

 

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兄は勉強が出来ていつも学年でトップだったので父のお気に入りだった。兄弟でうるさくしていたり喧嘩したりしてたら、「お前が悪い」といつもケンヂを殴った。兄はほとんど殴られた事がない。ケンヂは父が怖く近寄らないようにしていた。

 

母は結婚前、地元の洋裁店で働いていたのでケンヂの服はほとんど母の手作り。正確に言えば、貧乏なのでケンヂの服は母の手作りだけど兄のお下がりでもあり、長ズボンの膝の部分は穴が開いたものを補修したあとがあった。友だちにからかわれたりもしたこともあったけど、そのことを母に話すと悲しい顔をしたので2度と言わなかった。不憫に思い無理してズボンは丈夫なジーパンを買ってくれるようになった。貧乏な家庭はそういう時代でもあった。

 

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物心ついたころから、子供ながらに家は貧乏・・・とわかっていたので、物をねだったりという事はしたことが無い。近所の子が、超合金のロボットのおもちゃなんかをもって公園の砂場なんかで遊んでいたりしたら羨ましかったけど、グリコのおまけや数台のミニカー、トランプ、将棋位しかもっていなかった。だから遊びといえば近所や山で虫を採ったり、ガラクタや木を集めて秘密基地を作ったり、家のそばの人のいないトタン屋根の木材置き場で木の板や破片で遊ぶことが多かった。

 

兄もケンヂも学費が安いという事でお受験をして地元の国立小学校に進学した。

国立の小学校は県全域から生徒が集まっているので、1キロ以内の近所には、同窓生の男の子は2人しかいなくその友だちと山に行って遊ぶか、家で本や漫画を読む(同じ本を何度も何度も)ことが多かった。兄には1キロ以内に住んでいる同窓生はいなかったようだ。

 

自転車も買う余裕が無かったので、友達の自転車のあとを走っておいかけた。兄は小学4年生の時に、知り合いの子のお下がりの自転車をもらったけど、一度も使わせてくれなかった。基本兄は運動音痴で外で遊ばずに家で百科事典や図書館で借りてきた本ばかり読んでいて、ほとんど自転車に乗らなかったにもかかわらず・・・ドケチなのだ。たまにトランプや将棋をする程度しか一緒に遊んだ事がない。当時は勉強が出来ないケンヂのことを「バカケン」と呼んでいた。

 

こづかいも貰っていなかったので、物を買う時はお年玉だけが頼りだった。お年玉の大半はプラモデルや漫画、本など後に残るものに使った。買い食いとかは滅多にしなかったので、友達が駄菓子屋に行っても店の外で見てるだけだった。