ケンヂのきもち

まずは自分を知らなきゃね~

少年時代 2

(つづき)

 

貧乏だったが、長男の教育には父母も力を入れていた。兄は小学校に入った年からピアノを習い、3年生からは習字とそろばんを習い始めた。どれも能力を発揮し特にそろばんは6年で段を持っていた。ケンヂもそろばんだけ小学3年生のとき1年だけならいにいった。習い始めて1年後の最初の試験でそろばん2級暗算3級をとったが、先生が高齢でそろばん塾を閉めたので、1年だけしか出来なかった。

 

兄は順当に国立大付属中学に合格し、入学時に当時はやっていたデジタルの時計と新しい自転車を入学祝で買ってもらった。当時はとてもうらやましかった。ケンヂは不合格だったので買ってもらえず、中学入学時に人生初の自転車と時計を今まで貯めていた自分のお年玉で買った。兄は中学入学からお小遣いを月2千円もらっていたが、ケンヂは高校三年生になるまでお小遣いをもらったことが無い。中学入学から新聞の朝刊配達を行って、お小遣いを自分で稼いだ・・・その話はまだ後の話だが・・・

 

子供のころは、家だけでなく知り合いの家、親戚の家、学校・・・いつでも兄と比較され、その度に嫌なみじめな気分になっていた・・・兄がうらやましかったけど、嫌いだった。

 

 

 

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        少年期2   小学生時代

 

 

小学校が特殊な学校だったのでその説明から始めよう。

ケンヂの小学校は国立大の付属小学校で、国立大学教育学部付属小学校・・・と教育学部という名前が学校名に入り、大学の教育学部の実験校だった。当時県下ナンバーワンの進学校で6年生の時毎週日曜日に行われる県内公開模擬試験「日曜テスト」では1位~30位までほぼ独占状態という学校だった。

 

当時のお受験は知能指数IQテストと積み木や簡単な算数のテスト、そして面接だったと記憶している。IQは後から聞いた話だが158で1番だったらしい。IQが10以上ケンヂより低かった兄が学年テストで常に1番だったため学校の先生からは妙な期待をもたれていた。教育開発のモルモットだったのである。3年生の時兄の担任の先生に呼び出されてそんな話をされた。その兄の担任はあきれた感じで「お兄さんはべんきょうができるのにねぇ・・」といった。今でもその時の絶望感は忘れられない・・

 

この学校は普通の小学校とは少々違う教育方法を色々試験的に行っていた。少数精鋭で、各学年2クラスしかなく、「6年1組」とかではなく「1部6年、2部6年」というクラスわけがしてあった。「1部」と「2部」では教育方法がおそらく違ったのだろうけど、ケンヂは小学1年生から6年生まで「1部」だったので、どのように違うのかはわからない。担任の先生も1年から4年まで同じ先生、5年6年に違う先生に代わり小学時代通して2人の担任の先生で一貫した教育を行った。数ヶ月ごとに研究授業というのがあり、他校の先生方が30~40人授業を見に来たりしていた。

 

テストも他の小学校とは違い、国語は教科書で教わった所が試験に出るのではなく、まったく読んだ事がない文章を読み、そこから出題される。算数は6年生の時に中学2年生の数学で習うあたりまで学習した。ケンヂは勉強嫌いで体育や美術(造形という学科だった)音楽以外は4段階評価の下から2番目がほとんどだった。1学年76人中大体45~55番位の成績だった。(小学校では落ちこぼれに近い成績だったが、公立中学に入学すると勉強しなくても学年3位に入ることが出来た)

 

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5年生になると毎週金曜日に「総合学習」という授業が2時限行われ5年~6年生2学年で班を作り・・・という風に、2学年共同作業で行われた。連凧を作ったり、縄跳びを練習して大会を行ったり、百人一首を覚えて百人一首大会を行ったり、校庭に大規模なアスレチックをつくったり・・・学期ごとにイベントがあった。

毎週土曜日には2時限「自由研究」という授業があり、各自、期のはじめに自分で課題を決めそれを調べたりして期末に発表する・・・という自己課題学習で自由度が高く楽しいものだった。小学6年生の時、ケンヂが「まんが研究」をしたいと先生に行ったところOKがでたので、他の男子3人、女子2人も便乗してきて、まんがの描き方を勉強してまんがを書いて提出した。当時ケンヂはまんがが好きでまんが家志望だった。友達の家に泊まり「まんが合宿」を行ったり楽しいものだった。担任の先生は応援してくださり、それを製本して文化祭で生徒が読めるように展示してくれたりした。こんな風変わりな学校だった。もちろんケンヂはこのときまんがの才能がない事に気がついたわけだが・・・

 

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教育実習も年2回行われ、各クラス10人近いの大学教育学部の大学生が2週間にわたりやってきた。大学が小学校の近くにあったので、実習生は皆学校の近所に住んでいるので、よく実習生の家に数人でいったりして遊んでもらった。みんな四畳半一間のアパートに住んでいて、質素な生活をしていたが、安い鶏肉を買ってきてホットプレートで焼いて食べたり、当時はやっていたサザンオールスターズやツイストのレコードを聞かせてもらったり、手塚治虫の「火の鳥」の漫画をいただいたり、近所の公園で「ケイドロ」をして遊んだり・・・当時の小学生から見れば、とてつもなく自由で大人で楽しそうな生活に見えた。

こんな変わった学校だったが、楽しかった。

 

 

 

ケンヂの家は小学校から徒歩で1キロほどのところにあった。前にも書いたがケンヂの家の近く住んでいた男子のクラスメートは二人しかいなかったので、その二人『グンボ』と『オッカン』は当然遊び、仲良くなった。

 

最初に仲良くなったのはグンボだった。学校の帰り道が一緒だったので、一緒に帰りはじめた。体が大きかったが、おとなしく気が弱く無口で運動が苦手だった。母親が教育熱心でクラス一の秀才だったが、テストで100点がとれなときは泣いていて可哀そうだった。

自転車も母親が「危ないから」と「友だちの自転車にも乗らせないでくれ」と言って来た。グンボには2つ年上の姉がいたが、姉は活発で自転車に乗って遊びに行ったりしていた。

ケンヂもグンボも空想好きで本を読むのが大好きだった。よく物話を作って話しあったりなぞなどを出し合ったりして遊んだ。

グンボの家は小さな商店街の金物屋だった。グンボのおじいちゃんの三畳の部屋でよく遊んだ。おじいちゃんの部屋の前には小さな庭と池があり、雨の日なんか忍び込んでよく庭を眺めながら楽しい事を話したり将棋をしたりした。将棋では兄に鍛えたれていたので、グンボが秀才でも滅多に負けなかった。グンボとおじいちゃんの部屋には本がたくさんあり、大きな虫眼鏡や古銭のアルバムがあった。グンボのおじいちゃんの部屋で遊ぶのが大好きだった。

お母さんがやってくると、グンボは緊張して話をしなくなる。お母さんには会うたびテストの点とか、成績とか、兄の勉強方法とか家のことを聞かれた。 遊ぶ約束をしていても勉強があるからと遊ばせてもらえないこともよくあった。ケンヂもグンボのお母さんは苦手だった。

グンボは操り糸の見える人形だった。グンボとは小学1年から4年まで同じクラスだったので本当に仲が良かった。と思っていた。