読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ケンヂのきもち

まずは自分を知らなきゃね~

ケンヂの物語  少年時代 後編 初稿 ( 後編1)

ケンヂの物語初稿

 

(後編1)

 

穏やかで柔らかい日差しの中

桜の花びらがゆっくりと風に舞い

着慣れぬ学生服をまとい緊張の趣きの初々しい新入生達を歓迎した。

 

 

 f:id:sigecyan:20160925185413j:plain

 

ケンヂは、迷信から子供をもうけるのを避けた1966年『ひのえうま』の翌年、1967年生まれ。

出生数200万人を越す第二次ベビーブームが始まる4年前の世代だが、戦後の第一次ベビーブーム以降またも多い出生数193万人5647人という年で、人数が多いため校庭で入学式は行われた。

ケンヂが進学した公立M中学の新入生は450人1クラス42~43人、養護学級も含め11クラスあった。

1学年で、ケンヂが通った小学校の全校生徒と変わらないマンモス校だった。

3つの小学校の学区から集まってきていて

他の生徒はクラスに10人以上小学時代からの知り合いや友達がいた。

ケンヂの小学校からは女子1人同じ中学に進学していたが他のクラスだった。

小学時代も同じクラスになった事が無く話したこともなかった。

入学式当日彼女とすれ違ったが、一瞬お互いニコリとしたが彼女も同じ立場

知らない子450人の中で言いようの無い不安の中、お互い下を向いた・・・

 

 

入学式の後、クラスにわかれ顔合わせのクラス会があった。

席は男女交互に出席番号順になっていて、机の上に名前が書いた紙とプリントが数枚置いてあった。

記入提出プリントがあり、筆記用具は持参していたのでプリントに記入しながら横を見ると、隣の席の女の子が泣きそうな顔をしてプリントを見ているのが見えた。

筆記用具を忘れていたようだったので、鉛筆と新品の消しゴムを貸してあげた。

女の子は真っ赤になって、殆ど聞こえないような蚊の鳴くような声で「ありがとう・・・」と言った。

その女の子はSさんといって、真面目でおとなしく、声が小さい可愛らしい子だった。

ケンヂも真っ赤になりながら笑顔で頷いた。

 

 

ケンヂは入学式当日、入学式に来ていた母とともに担任の先生に呼び出された。

ケンヂは学生服が間に合わず、父の知り合いからお下がりの学生服を貰っていた。

大きくダボダボだったけど仕方が無いのでその学生服を着て入学式に行った。

その学生服は袖にボタンが5つ並び丈が短く、裏地が赤く金の虎の刺繍がしてあった。

丈が短いがダボダボだったので丈自体はちょうどケンヂにあっていた。

みんなじろじろ見るし、みんなの制服と何か違うなぁ・・・とは思っていたが、

ケンヂも両親も疎く、その学生服が、当時『不良』と呼ばれていた生徒たちの間で流行っていた『短ラン』という学ランとは知らなかった。

担任に事情を話し学生服が出来次第普通の学生服に替えるという事になった。

 

入学後すぐにクラスの中は小学校が同じグループに分かれ、休憩時間や昼食を過ごすようになった。一人で過ごすのはどのグループにも属さないケンヂや、一部のおとなしく人見知りする子だけだった。

昼食の時は最初は一人で黙々と食べていた。次第に同じく一人で俯いて食べている隣のSさんと一言二言声を交わすようになった。本当に声の小さな子で、いつも話すときに体を大きく隣に乗り出さないと聞こえなかった。休憩や昼食の時間が次第に楽しくなってきた。クラスの他の子からラブラブだと冷やかされると真っ赤になった。冷やかされるので話さなくなったが、代わりに交換日記を始めた。朝かわりばんこに一番早く登校して机に交換日記を入れた。日記にはその日食べたものや、見たテレビや読んだ本やまんがの事を書いた。彼女も読書好きだったがほとんどケンヂの読んだ事がある本だったので、よく感想なんかも書いた。Sさんの几帳面だが丸っこい字が好きだった。

 

みんなの名前をようやく覚えた頃初めての班分けがあった。その頃ケンヂにも数人の友達ができていて、放課後遊んだり一緒に下校したりしていた。

学校で唯一の同じ小学校だった女の子から小学校時代の渾名『かわいい顔』と言うのが漏れ広まり、中学でのはじめての渾名は『かわいい顔』になった。クラスの女の子からはよく「女の子に生まれればよかったのにね~」と言われた。

 

小学校が県下一の新学校だったので、ケンヂは勉強しなくても最初の学年テストで450人中3位だった。100位まで名前が貼り出された。なぜだか1位から3位まで同じクラスにいたので、他のクラスからは秀才クラスと呼ばれた。1位のケンジ、2位の台湾生まれでお母さんが日本人の黄明人(コウメイジン)くんとすぐに仲良くなった。他のクラスの4位のアキラともなぜか仲良くなりよく遊ぶようになった。

ケンジは北海道出身で釣り好きだった。北海道で釣った大きな魚やイカの話を聞いたり釣りに誘ってくれた。1年の夏に地元北海道に転校していったが、それまではよく一緒に釣りに行った。

コウくんとは家が2~3分と近かったのでよく遊んだ。コウくんには1歳の妹がいて、コウくんの家では遊べなかったので自転車であちこちに行きダベッて遊んだ。ケンヂも中学入学時に自分の貯金で自転車を買っていたので、自転車に乗って風を切るだけで楽しかった。自転車があれば行動範囲が増えて、今までいけなかった所にも行く事ができた。

アキラの家は小さな肉屋だった。肉屋のお店の2階2部屋とキッチンで生活していた。家族はおばあちゃん、お父さん、お母さん、アキラ、弟の5人家族。荷物は少なかったが仏壇があり、5人寝るにはキッチンにも一人寝ないといけないそうだ。いつも家が貧乏だと嘆いていた。アキラ自身も新聞配達のアルバイトをしていた。お金がなく高校に進学できないかもしれないとも言っていた・・・

 

 f:id:sigecyan:20160925223441j:plain

 

ケンヂが中学に入学した前年、テレビドラマ『3年B組金八先生』が流行し、その影響もあってかケンヂの中学でも上級生の2、3年では『ツッパリ』『不良少年少女』がクラスの半分位幅を利かせていた。同級の1年生には当初チラホラしかいなかったが、リーゼント、アイパー、パンチパーマ・・・長ラン、短ランを着た生徒が、それぞれ自己アピールしながらトンガッていた。ケンヂは出来るだけ関らないようにした。

 

クラブは卓球部に入った。家が貧乏なのでお金の掛かりにくいクラブを選んだ。本当は格闘技好きだったので、柔道をやりたかったけどこの中学に柔道部はなかった。野球もやりたかったけどユニホーム、スパイク、ヘルメット、グラブ、バット・・・とても無理だと判断した。卓球は入部を誘ってくれたクラスメートのKくんが、古いラケットをくれたのだった。Kくんのラケットは両面にラバーのはってあるシェィクハンドラケットだった。そんなに高いものではないだろうけど、指のあたる部分は削ってヤスリをかけてあり、黒くなっていたが、大事に長い時間使ってきたのがわかる良いラケットだった。

子供の時の家庭環境、特に、裕福か貧乏かという事は大きくその子の今後できる事を変えてしまう。人はみな平等には出来ていないのだ。小学時代から海外にホームステイしていた子もいたし、沢山の習い事をして才能を伸ばしていた子もいた。人は平等だといいきった先生もいたけど、ケンヂは子供ではどうにも出来ない環境の差を、不平等さを昔から自ら感じ取っていた。小学生の時に父をなくしたTくんや肉屋の息子アキラ・・・ケンジよりも不遇な環境も沢山あった・・・

だからケンヂは出来るだけ親に迷惑の掛からぬよう、自分のことは自分でするようになった。

クラブの練習はきつかった。2,3年は卓球台で練習していた。3年生の副部長が1年生に指示を出す。1年生はひたすら基礎体力作りだった。

この中学には『タダマンコース』という体育教師タダマン先生考案のコースがあった。二人一組で学校の内周を走りながら、途中うさぎ跳び、砂場で手押し車、ウンテイやのぼり棒をこなし、部室のある2階建ての建物の階段を駆け上がり駆け下りる。1週10分位掛かるのだが、このコースを10周した頃副部長がやってきて、最後に腕立て伏せ、空気椅子、腹筋、Vシット・・・最後にトドメの外周一周全力走・・・下校時間までひたすら基礎体力作りを行った。48人入部した新入生も1ヶ月で33人に減っていた。33人の中にも要領よくサボって最後だけ顔を出す連中も結構いた。まともに全部こなしていたのはケンヂとKくんを含め7人しかいなかった。学校の帰り道は膝がガクガクでふらつきながら家に帰った。夏休みが終わるまで基礎体力作りは続いた。

一度もラケットを握ることはなかった。

休みの日にいつも1年生の部員数人で公民館に行き卓球台で練習した。

夏休みは自由参加だったので1年生は10人位しか集まらなかった。

夏休み明けにいつものように『タダマンコース』を走っていたら、3年生が全員集まって1年生の練習を見ていた。新人戦に出る6人(シングルス2人、ダブルス4人)を決めるためだった。

新人戦の選手発表、Kくんとケンヂはシングルスに選ばれた・・・

その翌日から6人は始めて部活でラケットを握った。

『タダマンコース』を5週した後、素振りの練習・・・

2年3年で38人。1年生は選ばれた6人以外皆やめていた。

3年生も中学生活最後の試合が間近だったので必死に練習していて卓球台は使わせてもらえなかった。

新人戦まで1ヶ月半しかなかった・・・

仕方がないので夕方部活の後Kくんとスポーツセンターに行き練習した。

Kくんは小学3年生から卓球をしていたのでケンヂでは歯が立たなかったが

一生懸命教えてくれた。

試合前の2週間だけ1時間卓球台を使わせてもらった。

 

そして試合・・・ケンヂは1回戦 3-21 、7-21でストレート負けだった。

ケンヂの相手は準優勝した。

Kくんは2回戦で接戦の末敗れた・・・

あきらかに実戦練習不足だった・・・

 

3年生は県ベスト4に入りこの試合を最後に引退した。

2年生部長になり地獄が始まった。

2年生はガラが悪く『不良』『ツッパリ』が多かった。新人戦でみっともない成績だったケンヂは目をつけられていた。一人で体育館掃除をひたすらさせられたり、ちょっかいを出されて殴られたりした。部活が終わるとKくんや他の子に慰められながら帰った。

毎日ちょっかいは続き次第にエスカレートしていった。

ある日、いつもちょっかいを出してくる副部長に言いがかりをつけられ投げ飛ばされた。副部長は体がケンヂより2回り以上大きかった。

投げ飛ばされた後、すぐに起き上がらなかった言う理由で、ケンヂのラケットの柄でケンジの額を上から下におもいっきり殴った。

額が割れ血が噴出し顔を流れ落ちた。

Kくんから貰ったラケットは折れてしまった。

ケンヂは副部長を睨みつけた

副部長は血を見て怖気づいたのか明らかに動揺していた。

Kくんたち1年生が「やめてください!」駆け寄ってくるのを横目に、ケンヂは一瞬の隙を突きジャンプし、おもいっきり副部長の顎に頭突きをした。

副部長は膝から崩れ落ちた。副部長の顎の周りやユニホームにはケンヂの血が飛び散っていた。

副部長は脳震盪をおこしていた。

副部長が気がついた後、ケンヂと副部長は保健室に連れて行かれ、一緒に近くの病院に行かされた。ケンヂは額を一針だけ縫った。副部長は検査だけだった。

学校までの帰り道に「悪かったな・・・」と謝られた。

ガタイの大きい副部長の声は震えていた。

ケンヂは何も言わなかった。

ケンヂが頭にきたのは、Kくんから貰ったラケットをくだらない理由で壊された事だった・・・大事なラケットだった。

翌日退部届けを出した・・・

数日して1年生全員退部した・・・

 

f:id:sigecyan:20160925185528j:plain