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ケンヂのきもち

まずは自分を知らなきゃね~

ケンヂの物語   少年時代 後編 初稿(後編6)

(後編6)

 

 

 

 (つづき)

イジメはなくなったがケンヂはしばらく一人ぼっちだった。みんな腫れ物に触れるような感じでしかケンヂに接しなかった。

休憩時間はぼんやり窓から外を眺めてすごし、昼休憩は屋上で本を読んで過ごした。放課後はカラテを教えてもらうことが多かったのでクラブは行かなくなっていた。

ある日昼休憩に屋上に上がると、クラスで『こんちゃん』と呼ばれている、病弱そうでしょっちゅう学校を休んでいた子がいた。ケンヂの身長は小学時代からいつも真ん中・・・中背だったが、こんちゃんはケンヂの肩くらいしかなく飛びぬけて背が低かった。顔はいつも青白く神経質そうにきょろきょろしている。

こんちゃんはぼんやりとフェンス越しに校庭を眺めていた。ケンヂが屋上に来たことに気がついた。

「よお」と声を掛けてみた。

「・・・」こんちゃんは声が小さくほとんど聞こえない。

おそらく返事をしたのだろうけど、ケンヂには聞こえなかった。

ケンヂはニッコリ笑い、いつものように座り本を読み始めた。

しばらくするとこんちゃんもケンヂの所にやってきて横に座った。

「ケンヂくん・・・ね・・・ぼく・・・・」こんちゃんが話し掛けて来たのだが、良く聞こえなかった。今までこんちゃんとは一言も言葉を交わした事がなかったので驚いた。

ケンヂは優しい声で「ごめん、聞こえなかった・・・・どうしたの?」と言った。

「ケンヂくんは強いね・・・ぼく・・・だめなんだ・・・皆が怖くて・・」

真っ赤な顔でそわそわしながら必死に声を出していた・・・

ケンヂと目があうと近ちゃんは目をそらしてしまう。

ケンヂは寝転がり空を見ながら

「こんちゃんもいじめられてるんだっけ・・・」

こんちゃんは何も返事をしないでケンヂと同じように寝転んだ。

 

こんちゃんはケンヂとは真反対の学区から通ってきていた。同じクラスの男子、『カツコ』と『バケ』とは小学校の時に何度か遊んだ事があるみたいだった。カツコとバケは仲が良く・・・と言うか他の子とはほとんど話したり遊んだりしない親友みたいだった。2人とも筋肉質で背がケンヂよりすこし高く、いつもプロレスのようなことをして暴れていたので、ツッパリ連中も近寄らなかった。

カツコの家は鮨屋をやっていて、お父さん譲りの鋭い眼光と精悍な顔つきで鷹をイメージした。カツコが睨むとツッパリのボスですら目をそらした。当時テレビで『噂の刑事トミーとマツ』というコメディドラマをやっていて、銃撃戦に怖気づくトミーに、「こんな事が怖くて刑事が出来るか! お前なんか男じゃない、女男で十分だ! おとこおんなのトミコ!」とマツ叫ぶといきなり国広富之演じるトミーがスーパーマンのようになり、悪党をやっつけるというドラマが人気だった。そのドラマの『トミコ』から『カツコ』という渾名になったそうだ。カツコよりガタイの良いバケでもいつも力でかはなわない。

バケは京橋川沿いのトタン屋根のバラック小屋に住んでいた。兄1人弟1人妹1人の4人兄弟の次男だった。原爆投下後36年たっても川沿いに並んでできたバラック小屋は、当時のままで、住民はみな貧しい生活を送っていた。時代から取り残され、国や県や市からも忘れ去られた町でガラの悪い連中も大勢いた。バケはキングコングのようなおっかない顔と体型だったが、貧乏を感じさせない明るさと悪い道には染まらないもちまえの愛嬌があった。『バケ』と言う渾名はその容姿と並外れたパワーから付いたらしかった。

 

授業中こんちゃんが発言した時に、不良連中がからかった事があった。翌日からこんちゃんは学校を休んだ・・・3日目の授業が終わった後、カツコとバケに声を掛けてみた。

「こんちゃんの見舞いに行こうと思うんだけど、家教えてくれない?」

それまで2人とはほとんど話したことがなかった。

2人とも見かけによらず優しい性格で

「おれ達も気になってたんだ。一緒に行くよ」と言ってくれた。

こんちゃんの家に向かう途中、馬鹿を言い合う2人の会話に次第に慣れてきて会話に入れるようになった。

こんちゃんの家に着き呼び鈴を何度か鳴らしたけど誰も出てこなかった。

バケが大きい声で「こんちゃーん」と叫ぶと、しばらくしてこんちゃんが玄関から顔を出した。相変わらず青白い顔だったが、元気そうに笑顔を見せた。

こんちゃんの家は母子家庭で日中母親は働きに出ていて、夜も遅くまで戻ってこない。こんちゃんは学校で嫌な事があったら、翌日学校に出かけた後、母親が仕事に行くのを待ち、家に戻ってずる休みしていたのだった。

明日学校に行くという約束と、日曜日に皆で釣りに行くという約束をしてその日は帰った。

それから4人は仲良くなり、休みには良く釣りに出かけた。学校でこんちゃんがいじめられると、カツコとバケが割って入った。

こんちゃんのいじめもこれでなくなった。ケンヂの考え通りだった。

ケンヂはカツコやバケのやるプロレスに混ざり馬鹿も言い合うけど、信頼感を持っていた。4人はとても仲が良くなった。

そのころ慰霊執行委員の集まりで顔を合わせるMさんともとどおりに普通に話せるようになっていた。ケンヂはあの時先生を呼んできてくれたことへのお礼を言った。

 

 

3人で釣りに行き小さな魚がつれると、鮨屋の息子のカツコが小さなナイフで器用に魚を捌きその場で刺身にして食べたりした。型の良い鯛やウニなどはカツコのお父さんにあげて小遣いをもらった。中学生には多過ぎる位もらった事もある。カツコのお父さんに寿司をご馳走してもらったこともある。

ケンヂは寿司屋で寿司を食べるのはその時が初めてで、以前読んだ志賀直哉の『小僧の神様』を思い出してその話をカツコのお父さんに話した。カツコのお父さんは「小僧寿しってチェーン店があるだろう、あれはその小説から名前をつけたんだよ」と教えてくれた。

「うちの子は前々本読まないからね、ケンヂくんを見習え」といい、皆で笑った。

 

バケの家に遊びに行く途中、ケンヂ達よそ者がバラックが立ち並ぶ町に入るとそこら中から視線を感じ恐ろしかった。町に入るところからは急いでバケの家に行った。廃材を掻き集めて作った家は、ケンヂ達には秘密基地のようで魅力的だった。雨が降るとトタンの屋根が大合唱を始め、部屋の数箇所にバケツやお皿やカンが置かれ、雨漏りを受け三重奏のようになった。夜雨が降ったら、家中雨漏りがする中、6人家族でどうやって寝ているのか不思議だった。

お母さんはいつも家にいてバケの2歳の妹をあやしていた。左手の袖口から手のクルブシまでケロイドがあった。9歳の時に家の中で被爆したらしかった。爆心地から半径1700m付近のこの辺りは、全焼してそこいら中に焼け焦げた死体があり、川も埋め尽くすくらいの死体が浮き、その死体のお腹に溜まったガスでお腹がはじける音と腐敗臭が今でも忘れられないとよく言っていた。バケのお母さんのお母さんや兄弟は皆原爆で亡くなったそうだ。戦後戦地から無事に戻ったお父さんが今の家を瓦礫を掻き集め作ったらしかった。

バケのお母さんはこんなバラックに遊びに来るケンヂやカツコ、こんちゃんをしだいに気に入った。弟たちを預けて買い物に行ったりもした。ケンヂは子供好きなので楽しい時間だった。

ケンヂはMさんと慰霊執行委員としてもバケのお母さんから話を聞いた。お母さんはいきなり上半身服を脱ぎ、左胸まで続くケロイドを見せた。ケンヂは目のやり場に困って下を向いた。Mさんも下を向いて真っ赤な顔をしていた。近くの比治山からアブラゼミの大合唱が聞こえていた・・・

「そんなんみせるなよ~かあちゃん」バケがあわてて言った。

「この子が一番このおっぱいを吸ってたんだよ」とお母さんは大きな右のおっぱいを持ち上げて大笑いした。

その夜はバケのお母さんのただれた左のおっぱいとやけに白い右のおっぱいとMさんのうつむいた顔が脳裏から離れ眠れなかった・・・

バケの明るさと愛嬌を尊敬した。

ケンヂは1年の時慰霊執行委員になって以来、原爆の夢を見て夜中汗だくで目を覚ますことが多く寝れない夜も多かった。

大好きだった夏や蝉の鳴き声は『死』のイメージを連想させるものに変わっていった。

 

 

夏休みに入り8月6日の慰霊祭の予行演習を慰霊執行委員と先生方で行った。

ジリジリ焼けるほど暑い日で校庭の地面の照り返しと下から蒸しあがってくる熱気でクラクラする中、皆で来賓用テントを張ったり、朝礼台を移したりした。準備が完了するといよいよ式の演習を始めた。

司会の挨拶の後、校長の挨拶・・・8時15分の黙祷・・・

段取り順に行事展開し、慰霊執行委員長のスピーチの時が来た。

ケンヂの隣からMさんの深い息が聞こえてきて横を向いた。

蒼白な顔色で汗をいっぱい浮かべていた。

Mさんは名前を呼ばれ、朝礼台に上がった・・・・

ケンヂも緊張していた。Mさんはマイク代に手を触れたあと深くお辞儀をした。

スピーチを書いた紙を広げて読み始めた・・・・

マイクのスイッチは入れてない。いつもはきはきしていたMさんの声はか細く震えていた。

Mさんでも緊張するよな・・・と思った。

Mさんは空ろな表情でスピーチを読み上げていた・・・いきなりMさんが膝から倒れこんだ。マイク代は下に落ち、あわてて先生が朝礼台に向かった。ケンヂも走ってMさんの元に向かった。Mさんの顔は真っ青で痙攣していた。

日射病だ!」先生はMさんをそっと抱え上げ保健室に向かった。

ケンヂは呆然とそれを眺めていた・・・

 

しばらく予行演習は中断し、ケンヂ達慰霊執行委員は体育館脇の木陰で休んだ。Mさんが心配だった。

20分位たち、教頭先生と10組の担任の先生が戻ってきた。

「Mさんは大丈夫だ。今保健室で休んでいます・・」

ケンヂはホッとした・・その時、教頭先生に名前を呼ばれた。

「明日の慰霊祭、Mさんのスピーチは無理なので副委員長、お願いしますね」

え?

ケンヂの頭の中は真っ白になった・・・

「え?え・急に、む、無理です・・・」

元担任の10組の先生が「大丈夫だ」と半ば強引にMさんの作ったスピーチの紙をケンジに手渡した。

どうしよう、どうしよう・・・まったく考えていなかった展開に動揺した。

 

急遽黙祷の後から予行演習を再開した。

いよいよスピーチの番が来た。

ケンヂは震えながら右手と右足が一緒に動くのであせりながら・・直し

朝礼台にたった。いつもと違う視界だ。明日はここに1000人以上の人が立っているわけだ・・・

Mさんがしたように深々と礼をし、スピーチの紙を広げた。

スピーチ文のすべての漢字には丸っこいMさんの字でルビがふってあった。

ちょっと緊張が解け、ケンヂは読み上げた。何度がミスもあったが

教頭が「上出来!明日頼むよ」といい、拍手が起こった。

 

帰る前に Mさんの具合を見に保健室に行った。

Mさんの顔に多少の赤みが戻っていたがまだ青ざめていた。

Mさんは「ケンヂくんごめんね。でもケンヂくんなら大丈夫。出来るよ」

と優しく笑い右の人差し指で左の手のひらに『の』の字を書き飲み込む仕草を数度した。ケンヂも笑った。

Mさんを見てケンヂは逃げ出したかった自分が恥ずかしくなった。

「やるっきゃないか・・」

 

翌日、8月6日、雨夜ふってくれ・・・と懇願していたが、雲ひとつ無いが蒸し暑い朝が待っていた。

式典の最初から体が震えていた。テレビ局の取材が来ていた。

自分の番になり名前を呼ばれた。

「・・・慰霊執行委員代表・・・・ケンヂくん」

『の』の字をわからないように飲み込み、立ち上がりその場で礼をして朝礼台に向かった。なんとか左右手足を間違えずに朝礼台にたどり着けた。

1000人以上の人が並ぶ前に立つことは想像以上だった。

テレビ局のカメラもこちらを向いていた。

バクバク打つ心臓音が皆に聞こえてないか心配だった。

震える手でスピーチの紙を広げ、読み上げた。

なんどもどもったが大きな声でゆっくりと読み上げる事ができた。

終わると力が抜け、倒れこみそうだった。

 ギラギラの太陽の元、ジージーうるさいほどの蝉の大合唱が鳴り響いていた。

 

 

ケンヂの父は会社を大きくして『総合卸センター』というところに新たに床面積300坪程の会社を建て、個人会社から株式会社に組織変更していた。

社員もパートを含め18人ほどいて儲かっていた。会社の近くに土地を購入しケンヂが中学1年の時からそこに家を建て始めていた。2年生の9月の終わりに完成予定で完成したら引越し、転校することになっていた。

学校の先生以外には話していなかったが、夏休みに入る前にMさん、こんちゃん、カツコ、バケの4人には知らせておいた。

皆がっかりした。Mさんは「皆引っ越していく」と涙を流した。

夏休みはお盆以外のほぼ毎日4人の誰かと遊んだ。

男子3人とは川でゴカイを捕り一晩海水に付けておき、それを餌に自転車で海に釣りに行った。フェリーで島に渡り釣りをしながら泳いだり楽しんだ。

島でバケが肥溜めに落ちたこともあった。

焼き芋を売りに来たおじさんがタダで芋くれたので、焼き芋売りの呼び込みをだったりしたこともあった。

Mさんとは比治山公園まで散歩したり、街中の中央図書館に一緒に行ったりした。図書館の帰り道に、いぜんした様に手をつないで『ドキドキ』しながら下を向いて帰ったりした。

 

沢山の出来事、思い出とともに夏は過ぎ去っていった・・・

別れを惜しむ友人やMさんと握手をしてお互いの今後の健闘と飛躍を誓い合い、ケンヂは引っ越した・・・また友人達に涙を見られてしまった・・・