ケンヂのきもち

まずは自分を知らなきゃね~

ケンヂの物語  少年時代  後編 (加筆修正稿)

後編をつなげて加筆修正したものです

 

 

 

穏やかで柔らかい日差しの中

桜の花びらがゆっくりと風に舞い

着慣れぬ学生服をまとい緊張の趣きの初々しい新入生達を歓迎した。

 

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ケンヂは、迷信から子供をもうけるのを避けた1966年『ひのえうま』の翌年、1967年生まれ。

出生数200万人を越す第二次ベビーブームが始まる4年前の世代だが、戦後の第一次ベビーブーム以降またも多い出生数193万人5647人という年で、人数が多いため校庭で入学式は行われた。

ケンヂが進学した公立M中学の新入生は450人1クラス42~43人、養護学級も含め11クラスあった。

1学年で、ケンヂが通った小学校の全校生徒と変わらないマンモス校だった。

3つの小学校の学区から集まってきていて

他の生徒はクラスに10人以上小学時代からの知り合いや友達がいた。

ケンヂの小学校からは女子1人だけ同じ中学に進学していたが、生憎他のクラスだった。

小学時代も同じクラスになった事が無く話したこともなかった。

入学式当日彼女とすれ違ったが、一瞬お互いニコリとしたが彼女も同じ立場

知らない子450人の中で言いようの無い不安の中、お互い下を向いた・・・

 

 

入学式の後、クラスにわかれ顔合わせのクラス会があった。

席は男女交互に出席番号順になっていて、机の上に名前が書いた紙とプリントが数枚置いてあった。

記入提出プリントがあり、筆記用具は持参していたのでプリントに記入しながら横を見ると、隣の席の女の子が泣きそうな顔をしてプリントを見ているのが見えた。

筆記用具を忘れていたようだったので、鉛筆と新品の消しゴムを貸してあげた。

女の子は真っ赤になって、殆ど聞こえないような蚊の鳴くような声で「ありがとう・・・」と言った。

その女の子はSさんといって、真面目でおとなしく、声が小さい可愛らしい子だった。

ケンヂも真っ赤になりながら笑顔で頷いた。

 

 

ケンヂは入学式当日、入学式に来ていた母とともに担任の先生に呼び出された。

ケンヂは学生服が間に合わず、父の知り合いからお下がりの学生服を貰っていた。

大きくダボダボだったけど仕方が無いのでその学生服を着て入学式に行った。

その学生服は袖にボタンが5つ並び丈が短く、裏地が赤く金の虎の刺繍がしてあった。

丈が短いがダボダボだったので丈自体はちょうどケンヂにあっていた。

みんなじろじろ見るし、みんなの制服と何か違うなぁ・・・とは思っていたが、

ケンヂも両親も疎く、その学生服が、当時『不良』と呼ばれていた生徒たちの間で流行っていた『短ラン』という学ランとは知らなかった。

担任に事情を話し学生服が出来次第普通の学生服に替えるという事になった。

 

入学後すぐにクラスの中は小学校が同じグループに分かれ、休憩時間や昼食を過ごすようになった。一人で過ごすのはどのグループにも属さないケンヂや、一部のおとなしく人見知りする子だけだった。

昼食の時は最初は一人で黙々と食べていた。次第に同じく一人で俯いて食べている隣のSさんと一言二言声を交わすようになった。本当に声の小さな子で、いつも話すときに体を大きく隣に乗り出さないと聞こえなかった。休憩や昼食の時間が次第に楽しくなってきた。クラスの他の子からラブラブだと冷やかされると真っ赤になった。冷やかされるので話さなくなったが、代わりに交換日記を始めた。朝かわりばんこに一番早く登校して机に交換日記を入れた。日記にはその日食べたものや、見たテレビや読んだ本やまんがの事を書いた。彼女も読書好きだったがほとんどケンヂの読んだ事がある本だったので、よく感想なんかも書いた。Sさんの几帳面だが丸っこい字が好きだった。

 

みんなの名前をようやく覚えた頃初めての班分けがあった。その頃ケンヂにも数人の友達ができていて、放課後遊んだり一緒に下校したりしていた。

学校で唯一の同じ小学校だった女の子から小学校時代の渾名『かわいい顔』と言うのが漏れ広まり、中学でのはじめての渾名は『かわいい顔』になった。クラスの女の子からはよく「女の子に生まれればよかったのにね~」と言われた。

 

小学校が県下一の新学校だったので、ケンヂは勉強しなくても最初の学年テストで450人中3位だった。100位まで名前が貼り出された。なぜだか1位から3位まで同じクラスにいたので、他のクラスからは秀才クラスと呼ばれた。1位のケンジ、2位の台湾生まれでお母さんが日本人の黄明人(コウメイジン)くんとすぐに仲良くなった。他のクラスの4位のアキラともなぜか仲良くなりよく遊ぶようになった。

ケンジは北海道出身で釣り好きだった。北海道で釣った大きな魚やイカの話を聞いたり釣りに誘ってくれた。1年の夏に地元北海道に転校していったが、それまではよく一緒に釣りに行った。

コウくんとは家が2~3分と近かったのでよく遊んだ。コウくんには1歳の妹がいて、コウくんの家では遊べなかったので自転車であちこちに行きダベッて遊んだ。ケンヂも中学入学時に自分の貯金で自転車を買っていたので、自転車に乗って風を切るだけで楽しかった。自転車があれば行動範囲が増えて、今までいけなかった所にも行く事ができた。

アキラの家は小さな肉屋だった。肉屋のお店の2階2部屋とキッチンで生活していた。家族はおばあちゃん、お父さん、お母さん、アキラ、弟の5人家族。荷物は少なかったが仏壇があり、5人寝るにはキッチンにも一人寝ないといけないそうだ。いつも家が貧乏だと嘆いていた。アキラ自身も新聞配達のアルバイトをしていた。お金がなく高校に進学できないかもしれないとも言っていた・・・

 

 

 

ケンヂが中学に入学した前年、テレビドラマ『3年B組金八先生』が流行し、その影響もあってかケンヂの中学でも上級生の2、3年では『ツッパリ』『不良少年少女』がクラスの半分位幅を利かせていた。同級の1年生には当初チラホラしかいなかったが、リーゼント、アイパー、パンチパーマ・・・長ラン、短ランを着た生徒が、それぞれ自己アピールしながらトンガッていた。ケンヂは出来るだけ関らないようにした。

 

クラブは卓球部に入った。家が貧乏なのでお金の掛かりにくいクラブを選んだ。本当は格闘技好きだったので、柔道をやりたかったけどこの中学に柔道部はなかった。野球もやりたかったけどユニホーム、スパイク、ヘルメット、グラブ、バット・・・とても無理だと判断した。卓球は入部を誘ってくれたクラスメートのKくんが、古いラケットをくれたのだった。Kくんのラケットは両面にラバーのはってあるシェィクハンドラケットだった。そんなに高いものではないだろうけど、指のあたる部分は削ってヤスリをかけてあり、黒くなっていたが、大事に長い時間使ってきたのがわかる良いラケットだった。

子供の時の家庭環境、特に、裕福か貧乏かという事は大きくその子の今後できる事を変えてしまう。人はみな平等には出来ていないのだ。小学時代から海外にホームステイしていた子もいたし、沢山の習い事をして才能を伸ばしていた子もいた。人は平等だといいきった先生もいたけど、ケンヂは子供ではどうにも出来ない環境の差を、不平等さを昔から自ら感じ取っていた。小学生の時に父をなくしたTくんや肉屋の息子アキラ・・・ケンジよりも不遇な環境も沢山あった・・・

だからケンヂは出来るだけ親に迷惑の掛からぬよう、自分のことは自分でするようになった。

クラブの練習はきつかった。2,3年は卓球台で練習していた。3年生の副部長が1年生に指示を出す。1年生はひたすら基礎体力作りだった。

この中学には『タダマンコース』という体育教師タダマン先生考案のコースがあった。二人一組で学校の内周を走りながら、途中うさぎ跳び、砂場で手押し車、ウンテイやのぼり棒をこなし、部室のある2階建ての建物の階段を駆け上がり駆け下りる。1週10分位掛かるのだが、このコースを10周した頃副部長がやってきて、最後に腕立て伏せ、空気椅子、腹筋、Vシット・・・最後にトドメの外周一周全力走・・・下校時間までひたすら基礎体力作りを行った。48人入部した新入生も1ヶ月で33人に減っていた。33人の中にも要領よくサボって最後だけ顔を出す連中も結構いた。まともに全部こなしていたのはケンヂとKくんを含め7人しかいなかった。学校の帰り道は膝がガクガクでふらつきながら家に帰った。夏休みが終わるまで基礎体力作りは続いた。

一度もラケットを握ることはなかった。

休みの日にいつも1年生の部員数人で公民館に行き卓球台で練習した。

夏休みは自由参加だったので1年生は10人位しか集まらなかった。

夏休み明けにいつものように『タダマンコース』を走っていたら、3年生が全員集まって1年生の練習を見ていた。新人戦に出る6人(シングルス2人、ダブルス4人)を決めるためだった。

新人戦の選手発表、Kくんとケンヂはシングルスに選ばれた・・・

その翌日から6人は始めて部活でラケットを握った。

『タダマンコース』を5週した後、素振りの練習・・・

2年3年で38人。1年生は選ばれた6人以外皆やめていた。

3年生も中学生活最後の試合が間近だったので必死に練習していて卓球台は使わせてもらえなかった。

新人戦まで1ヶ月半しかなかった・・・

仕方がないので夕方部活の後Kくんとスポーツセンターに行き練習した。

Kくんは小学3年生から卓球をしていたのでケンヂでは歯が立たなかったが

一生懸命教えてくれた。

試合前の2週間だけ1時間卓球台を使わせてもらった。

 

そして試合・・・ケンヂは1回戦 3-21 、7-21でストレート負けだった。

ケンヂの相手は準優勝した。

Kくんは2回戦で接戦の末敗れた・・・

あきらかに実戦練習不足だった・・・

 

3年生は県ベスト4に入りこの試合を最後に引退した。

2年生部長になり地獄が始まった。

2年生はガラが悪く『不良』『ツッパリ』が多かった。新人戦でみっともない成績だったケンヂは目をつけられていた。一人で体育館掃除をひたすらさせられたり、ちょっかいを出されて殴られたりした。部活が終わるとKくんや他の子に慰められながら帰った。

毎日ちょっかいは続き次第にエスカレートしていった。

ある日、いつもちょっかいを出してくる副部長に言いがかりをつけられ投げ飛ばされた。副部長は体がケンヂより2回り以上大きかった。

投げ飛ばされた後、すぐに起き上がらなかった言う理由で、ケンヂのラケットの柄でケンジの額を上から下におもいっきり殴った。

額が割れ血が噴出し顔を流れ落ちた。

Kくんから貰ったラケットは折れてしまった。

ケンヂは副部長を睨みつけた

副部長は血を見て怖気づいたのか明らかに動揺していた。

Kくんたち1年生が「やめてください!」駆け寄ってくるのを横目に、ケンヂは一瞬の隙を突きジャンプし、おもいっきり副部長の顎に頭突きをした。

副部長は膝から崩れ落ちた。副部長の顎の周りやユニホームにはケンヂの血が飛び散っていた。

副部長は脳震盪をおこしていた。

副部長が気がついた後、ケンヂと副部長は保健室に連れて行かれ、一緒に近くの病院に行かされた。ケンヂは額を一針だけ縫った。副部長は検査だけだった。

学校までの帰り道に「悪かったな・・・」と謝られた。

ガタイの大きい副部長の声は震えていた。

ケンヂは何も言わなかった。

ケンヂが頭にきたのは、Kくんから貰ったラケットをくだらない理由で壊された事だった・・・大事なラケットだった。

翌日退部届けを出した・・・

数日して1年生全員退部した・・・

 

ケンヂがは卓球部をやめた後、テニス部(ソフトテニス部)に 入部した。

ケンヂと同じ時にやめた他の5人も全員テニス部に入部した。

小さな卓球台を大きなコートに替えたのだ。

途中入部のケンヂ達は歓迎された。古い練習用のラケットを貰い、素振りの練習や練習試合をしながらルールを教わった。どうしても『卓球打ち』になるケンヂ達に丁寧に教えてくれた。

入部の翌日ケンヂは部長に呼ばれた。 部長の I は背が高くガタイが良く、色黒でハンサムだった。

ニヤニヤしながら「ケンヂのお兄さんホント頭いいんだよなぁ」と言ってきた。

I 部長のお兄さんは偶然ケンヂの兄と小学校からの同級生で、仲が良く、I 部長も何度も一緒に遊んだ事があったみたいだった。

ケンヂが珍しい苗字なのですぐわかったそうだ。ケンヂも話を聞いて、I 部長の名前でお兄さんが誰だかわかった。

また、卓球部でのイキサツを聞いてきたのでありのままを話した。

I 部長は「卓球部の2年生がちょっかい出してくるようならおれに言え」と言ってくれた。ケンヂは素直にうれしかった。

 

 

 

 

この中学校は 旧第三国民学校と言う名前で、原爆の日、爆心地から1.2km付近で建物疎開作業中被爆し生徒教員含め210人が犠牲になっていた。

毎年8月6日には構内で全校生徒による慰霊祭が行われる。

入学当時から平和教育が盛んに行われ、原爆の話を聞いたり『青い空は』『ああ許すまじ原爆を』『夾竹桃の歌』『似島』『飛べよ鳩よ』・・・・など沢山の原爆の歌を覚えた。悲しい歌ばかりだった。

クラスから男女一人ずつ『慰霊執行委員』に選ぶとき、ケンヂとMさんと言う女の子が選らばれた。

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Mさんは眼がパッチリとして可愛らしく明るい活発な子で、学級委員なんかが似合う子だった。男子生徒にも人気がある子でケンヂも気になっていた子だった。

でも慰霊執行委員になるまで、Mさんとはほとんど話したことがなかった。

慰霊執行委員の仕事は、慰霊者訪問をして原爆の話を聞き、その話をまとめて冊子を作ったり、慰霊祭の進行をしたりするのが主な仕事だった。

土曜日の午後、なんどもMさんと待ち合わせて沢山の慰霊訪問に行った。

Mさんとの待ち合わせにケンヂはいつもドキドキしていた。

ケンヂは明るく活発なMさんとは、気軽に話しかけてくれるが、反対に、いまだにウブで赤面症の上にどもってしまって上手く話せなかったが、次第に打ち解けMさんと仲良くなっていった。

夏も近い土曜日の午後、被爆者のおじいちゃんおばあちゃんから聞いた原爆体験談をまとめる作業をMさんと行っていた。他の生徒は皆帰るか部活に行っていて教室内は2人っきりだった。

「さっきさ、Sさんがケンヂくんの机にノート入れてたよ。なになに?」

その日Sさんは交換日記ノートを朝入れれず、授業が終わった後見つからないように入れてたのだった。

ケンヂはあせってしまい、しどろもどろにわけのわからないことをいっていたが

「あれ、交換日記でしょう~」とMさん・・・なんてカンの鋭い・・

ぱっと顔が熱くなり、どもって言葉にならないケンヂを遮りさらにトドメを・・・

「ケンヂくんとSさん付き合ってるんだ・・・」

「い、いや、そそそんなんじゃなくて・・・Sさん友だちいないから・・・」

「付き合ってるんじゃないの? Sさんかわいいよね~」

「かかかわいいね・・・」もはや何を言っているのか・・・

「付き合ってるんじゃないの? ホントに? Sさん話すの苦手みたいだから交換日記してるの?」

「う、うん・・・そそうなんだ・・」

完全にばれてしまっている。一瞬のうちにクラス中にその事が知れてしまうことを想像し愕然とした。

「そうなんだ・・・それならわたし立候補しようかな・・・恋人」

 

Mさんも顔が真っ赤になっていた。

「前からケンヂくんのこと気になってたんだ。ケンヂくんが慰霊執行委員になったからわたし立候補したの」真っ赤になってにっこり微笑んだ。

「う、うん。おれもMさん気になってた・・・」ケンヂは赤ちゃんのように真っ赤のまま答えた。

Mさんの顔はパッと明るくなり「うれしい」

ケンヂもうれしかったが、Sさんの俯き気味な顔を思い出してしまい、罪悪感に苛まれ、複雑な表情だったに違いない。

実際ケンヂはSさんに対し恋愛感情ではなく、Sさんの唯一の友だちと思って交換日記をしていた。

Sさんがどう思ってケンヂと交換日記をしていたかはわからなかった・・・

家に帰っても罪悪感のような感情が圧し掛かったままだった。

 

その日、ケンヂは交換日記を前にして書き倦んでいた。

Mさんのことをどう書けばいいのか・・・

別に正直にあったことをこと書く必要もないのだが、Mさんのことを書かずにSさんと今のまま交換日記をするわけにもいかないし、Mさんと交際しながら他の女の子と交換日記を続けるというのもMさんに悪い。

結局悩みに悩んだ末・・・

 

 【中学校で初めての友だちSさん

交換日記は最後だけど

Sさんはおれのことたくさん知ってくれている大事な友だち

あいかわらずおとなしいし人見知りだけど

勇気を出して、日記に書いていたように普通に話せば

Sさんならたくさん友だちできます

応援してます!】      

 

 

なんども書き直しながら書いたけど、Sさんがケンヂに対して『友だち以上の思い』を持っていたなら『別れ』のようになってしまう。

このノートを渡す前に、直接SさんにMさんのことを話さなければならない。

どうしていいのかわからないまま、ケンヂは翌朝を迎えた。

 

翌日の日曜日、Mさんの提案で広島市内の中心部にある県立中央図書館にいって慰霊執行委員の原稿のまとめをすることになっていた。

学校で十分済む作業だったが・・・要するにこれはデートなわけだ。

ケンヂにとってもMさんにとってもこれは初デートだった。

朝バス停でMさんと待ち合わせ、一緒に広島の中心部に向かった。

図書館からは遠かったけど、市内一の繁華街である本通りでバスを降りた。

本通にはもう人がたくさんいた。

話しながら並んで歩いていると、Mさんがいきなりケンヂの腕に手を回してきた。

ケンヂはドキドキだった。自分の心臓の音がMさんに聞こえるのではないかと心配した。Mさんはケンヂの腕をぐいぐい引っ張りながら、いろんな店にケンヂをつれて歩いた。ケンヂは真っ赤になったまま、楽しい時間を過ごした。

歩きつかれたので『アンデルセン』というパン屋さんがやっている店に入り休憩することにした。『アンデルセン』は爆心地である『原爆ドーム』に近く、被爆した旧帝国銀行の建物を買い取り改装して店にしていた。地下2階、地上8階の北欧を基調としたおしゃれな建物で、慰霊執行委員の原稿まとめで来たのだからと言うことでこの店にした。ケンヂは初めて入ったが、中はパンの良い香りに包まれていた。

2階にレストランがあり、そこでパンとミックスジュースを注文して食べながら原稿まとめをした。1時間くらいするとランチ目当ての客でレストランはいっぱいになってきたので、ケンヂ達は店をでて図書館に向かった。

原稿まとめを終え、帰りのバス停まで向かう途中、Mさんがケンヂの手を握ってきた。

ケンヂはドキドキして動悸とめまいで倒れそうだった。手のひらは汗ばみMさんの心臓の音が聞こえてくるようだった。Mさんも真っ赤になって嬉しそうに下を向いていた。冷たい掌だった。

舞い上がって倒れそうになりながら、女の子と腕を組んだり手を握るだけでこんなにもドキドキするもんなんだ・・とケンヂは思った。

 

 

翌日、昨日とは違い、暗い思いがケンヂに圧し掛かっていた。

今日Sさんに伝えないといけない。伝えた後あのノートを渡さなければならない。

 学校で人がいない時にSさんと話をするのは中々難しいので、学校に行く途中朝Sさんの家に寄ることにした。Sさんの家は学校のすぐ近くだった。

ケンヂもSさんもいつも交換日記を朝一で互いの机に入れるために誰よりも早く学校に行っていたけど、最近は自分のが渡す日でない日もお互い早く学校に着いてたので 直接渡すことの方が多かった。家の前で待っていると、Sさんが出てきた。

 「おはよう」ケンヂはうまく作れない笑顔でSさんに声をかけた。

「あ、おはよう」パッと笑顔になりすぐに恥ずかしそうな表情に変わったSさんが、小さな声で挨拶した。

夏休み目前のはり付くような蒸し暑い朝だった。一緒に並んで学校に向かいゆっくりと歩いていたが、彼女の家から学校はすぐなので、学校とは反対方向にある公園にSさんを誘った。

「Sさん、一昨日ね、え、え、Mさんから告白されちゃった・・・」

Sさんははっとした顔でケンヂの方を向いた。

「おれもMさんのこと、す、す好きなんだ・・・」

ケンヂは真っ赤になっていた。

呆然としているSさんに交換日記を渡した。

「お、おれ、Sさんのこと、大事な友達だと思ってる・・・」と言ったところで呆然としたままケンヂを見つめるSさんの目から涙がぽろぽろ落ちてきた。

呆然と両手でノートを持ったまま、Sさんの目からは涙が止まらず流れ落ちる。

やはりSさんは、友だち以上の感情でおれを思っていたんだ・・・

優しくか弱く壊れてしまいそうなSさんを傷つけてしまった・・・

「ごめん・・泣かないで・・・」

Sさんは嗚咽のような声を出しながら泣いていた。涙が止まらない。

想定外にもケンヂも目から涙が落ちてきた。

あれ?

涙が止まらない・・・

あれ?あれ?

公園のベンチに腰掛けさせ横に並んで座った。

Sさんへの思いがどんどん強くなってくる・・・日記を家で書いてたときのこと、日記に書いたこと、書いてあったことが思い出される・・・

友だち以上の思いがあることに、ケンヂはその時初めて気がついたのだった。

とても愛おしい思いがこみ上げてくる・・・

自然にSさんの頭を撫でながら、ケンヂは

「おれ、やっぱりSさんのこと大好き・・・みたい・・・」

「今日Mさんに断って謝るよ・・・」

Sさんはケンヂの肩に頭をあずけ嬉しそうな表情に変わり、目を瞑り静かに泣いていた・・・

Sさんの髪からリンスの甘い香りがした・・・

ケンヂの涙はもう止まってた。

 

 

 扉を開けクラスに入ると数人の女子がすでに登校してきていた。その中にMさんもいた。

Mさんは「おはよう」と言いにこにこしながらケンヂに近づいて来る。

ケンヂは「おはよう」と言い下を向いた。Mさんの顔を見ることができなかった。

Mさんはケンヂの顔を覗き込んだ。

「どうしたの?目が充血してるよ?」

ケンヂは「なんでもないよ」とぶっきらぼうに言い、席に向かった。

ケンヂに続いて俯いて教室に入ってきたSさんを見て、Mさんはケンヂが自分たちのことを話したんだと気がついた。Sさんがケンヂに友だち以上の思いを持っていたことも察した。なぜなら、なによりもSさんの目はケンヂよりも真っ赤に充血していたからだ。

Sさんが席に着くとMさんは追いかけて行き「Sさん、ごめんね」と言った。

Sさんは机にうっつぶし「Mさん、ごめんね」と小さな声で言った。

他にきていた数人の女の子が見る中、Mさんは「え?」っとケンヂの方に振り返った。

目をそらすケンヂをみてMさんは状況がわからないまま「ごめん?」っと言った。

ケンヂは「Mさん・・ごめん。お、おれ、Sさんのことが本当に好きみたいなんだ・・・・だからMさんとは友だちとしてしか付き合えない」と言った。

他の女の子が、きゃーと言うのが聞こえた。

Mさんは自分の席に座り、机にうつ伏した・・・そして静かに泣き始めた・・・・

Sさんもうつ伏したまままた泣いていた・・・

他の女の子達は固まっていた。

どうしていいのかわからないままケンヂは自分の席に座り、重くガンガンする頭を足れた・・・

ケンヂは消えて無くなりたかった・・・どうすることも出来なかった・・・

中に入る穴もない・・・

異様な雰囲気の教室に次々と登校してくる生徒が入ってきて、瞬く間に話はクラス中に広まった。

更に予期せぬことに、他にも2人泣き出した子がいたのだ。

他にもケンヂのことを思っていた女の子がいたのだった。

ケンヂは1日に4人の女の子を泣かせてしまった・・・・

先生も教室に入り、異常な状況に気づき、何があったのかきいたりしていたが、ケンヂの頭には何も入ってこなかった。タダ呆然として、その後のことは覚えてなかった。

 

 

慰霊執行委員の集まりで一緒だったMさんに話しかけたけど、口をきいてくれなかった。

明るかったMさんにから笑顔が消えてしまった・・・

Sさんとも上手くしゃべれず交換日記も終わってしまっていた。

 

クラスメートからしばらくからかわれたり文句を言われたりしたけど、すぐに暑く長い夏休みが始まった。

 

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 慰霊祭の日Mさんは吹っ切れたようにちょっとだけ笑顔を見せてくれた。まだ無理があったが、時間が解決してくれそうだった。ケンヂはMさんより上手に笑って見せた。

慰霊祭が終わったあとSさんと話をして、クラブのない日に逢えるように約束をした。

 

夏休みは充実していた。一緒にプールに行ったり、宮島花火大会を見に行ったり、公園でお互いに読んだ本の話をしたり、交換日記にお互いが書いていたようなことを直接話せるようになった。

Sさんはすこし大きな声・・普通に話せるようになった。相手の顔を見て笑えるようになった。すねたりちょっと怒ったりできるようになった。

手をつないでいっぱいドキドキした・・・

夏休みが終わった後、学校で明るく話せるようになったSさんを見て、皆びっくりしていた。

Mさんとも徐々に普通に話せるようになった。

MさんとSさんはとても仲の良い友だちになった。

 

 

その年の冬、ケンヂはすごく楽しく過ごしていたが長くは続かなかった。

Sさんは親の転勤で広島に来ていたのだが、地元の兵庫県神戸市に戻ることになった。

引越しの2週間前ケンヂはその話を知った。突然の別れにケンヂは打ちのめされた。

中学生にはどうにも出来ないことだった。

 

別れの朝、ケンヂとMさんはSさんの見送りに言った。

Sさんは真っ赤な目からぽろぽろ涙をこぼし、Mさんに

「ケンヂくんのことよろしくお願いします」と言った。

Mさんも泣いていた。

ケンヂは別世界のことのように眺め、気の利いた言葉を掛けてあげることも出来なかった。

Sさんと両親を乗せたタクシーが動き出した・・・

ケンヂはあわてて手を振った・・・

タクシーがみえなくなるとMさんはしゃがみこんで泣き出した。

Mさんに「泣かないで・・」と言ったが、ケンヂの目からすでにあふれ出ていた涙は止まらなかった・・・

 

 

2年生になりケンヂとMさんは別々のクラスになった。

Mさんと会えるかもしれないと言う単純な理由でケンヂはまた慰霊執行委員に入った。

慰霊執行委員は受験のない1,2年で構成されている。

ケンヂは慰霊執行委員の副委員長になった。小学時代に引き続き、相変わらず『副』だ・・・

いつものように立候補していないのに推薦で決まった。委員長は最初なりたい人がいなかったので中々決まらなかったが、Mさんが立候補した。副委員長にケンヂが決まったからかもしれなかった。ケンヂは嬉しかったし心強かった。

委員長は、8月6日の原爆の日に全国生徒の前で、亡くなられた方の慰霊と平和祈念のスピーチをしなければならないという大役が待っている。ケンヂにはとても無理だったのでMさんの勇気を尊敬した。

 

  

2年の時の担任は年配の女の先生で音楽の教師だった。神経質で痩せていて常にキンキン声で小言をまくし立てていた。熱心だったがケンヂは苦手だった。とにかく耳に障る声で、音楽の先生なので歌はもちろん上手なのだが、小言は実際耳が痛くなる程だった。

この学校は合唱に力を入れていて、1年の時はケンヂ達(10組)とこの担任が受け持っていたクラス(9組)が飛びぬけて上手く、1年ながら公会堂で行われる合唱コンクールの県大会出場権を争っていた。9組と10組は学力優秀クラスだったみたいで、テスト成績の上位者はこの2クラスに集まっていたし真面目な生徒が多かった。2年になっても1年の時の担任は10組を受け持ち、この音楽の先生が9組を受け持っていた。

ケンヂは1年最後のテストで学年3位だった。1位不動のケンジが北海道に転校して以来、1位はコウメイジン、2位3位をアキラと競っていた。2年ではコウメイジンとアキラは10組、ケンヂは9組だった。

合唱コンで1年の時ケンヂ達の10組が優勝して、音楽教師の面目が潰れていたようで、2年で9組になったケンヂ達は強制的に打倒10組を誓わされて猛練習させられていた。10組出身のケンヂ達数人はリーダーのような役割をさせられた。

ケンヂは2年進級当時まだ声が高くソプラノパートだった。10組に勝つために難しい混声4部合唱曲を2曲先生が選択した。

ワーグナーの『タンホイザー行進曲』とシューマンの『流浪の民』だった。シューマンは小学時代、家で一人でいる時に何度も『ノベレッテ』『幻想小曲集』などのピアノ曲、今回歌う『流浪の民』のドイツ版などを聞いていて好きな作曲家だった。『流浪の民』では女の子より高音の声量があったのでソプラノソロパートを担当させられ、その後は女の子達とソプラノパートを歌わされた。左からソプラノの女子、アルト女子、テノール男子、バス男子という並びで隊列を組むのだが、ソプラノソロは、左端の一番前に位置する。女子の前に1人だけ立ち歌わなければならないのだ。小学時代の文化祭の保健班の時の事が脳裏に浮かんだ・・・ケンヂは辞退したのだが聴き入られなかった。

 

合唱コンクールの目前、ケンヂは変声期を迎えた・・・声が割れて出なくなり、急遽女子アルトパートに移され、独唱は嫌がる女の子に譲った・・・ケンヂは心底ほっとした。他にも変声期を迎えた男子生徒たちが増えてきたので、各パートの見直しが行われた。急な編成で上手く各パートがまとまらなくなった。

 

2年の合唱コンも優勝は2年10組だった。変声期の時期に混声4部合唱を選択したこと自体に無理があったのだった。

 

 

 

1年生の時は2、3年生は荒れていたが1年生はそこまででもなかったのだが次第に荒れ始めた。クラスにいたトンガった子の周りにトンガリ予備群の生徒が集まり、学校への不満、先生への不満から、次第に周りを巻き込み拡大していった。その生徒たちを押さえ込むため、先生もエスカレートして行き、校門前では先生たちが竹刀を持って待ち構え、強引な持ち物検査や行き過ぎた生活指導を行い、何もしていない真面目なケンヂ達ですらとばっちりで竹刀で叩かれたりすることも何度かあった。真面目な生徒の中からも、この先生の暴挙に反発して反抗したりする子が出てくる・・・悪循環を繰り返していた・・・

 

 1日中担任の小言のキンキン声が響き渡り、トンガッた生徒たちが暴れたり、しだいに優秀クラスも荒れ始めた。

なにか揉め事の濡れ衣を着せられたまじめな生徒Wくんが担任に怒られたことがあり、そのことを説明しても聞き入られなかったということがあった。Wくんは家も近く、クラブも一緒で、良く一緒に帰ったりしていて仲が良かった。真面目なWくんはそれ以降先生に反発するようになったので事情を聞き、ケンヂは先生に事情を説明しにいった。

その時は先生がWくんに謝りおさまった。

でもそれ以降なにか先生の怒り方が気に入らない時、Wくんは大きな声で先生に反抗するようになった。

クラスの不良グループはWくんに目をつけグループに引き込んだ。もうケンヂが何を言ってもWくんは「お前には関係ない」と突き放すようになった。いつも温和なWくんの顔が大魔神のように変わるのをみるのが嫌だった。

 

6月にケンヂ以外の男子生徒全員と女子生徒の一部が担任の音楽の授業をボイコットする事件があった。不良グループが半ば強引に真面目な生徒までまきこんでボイコットに参加させた。ケンヂはWくんを不良グループから引き離そうとして以来、不良グループににらまれていた。その一件以来、ケンヂは不良グループに狙われるようになった。

 

最初は校舎の裏に呼び出され、10数人に囲まれて文句を言われた。Wくんはいなかった。Wくんは染まらなかった。他人にすぐ影響される人間は弱い人間だと思っていた。Wくんは強い人間だったのだ。

ケンヂが1年生の時、卓球部の副部長に頭突きを食らわした一件を皆知っていたので中々手は出してこなかった。

ケンヂは格闘技好きで運動神経が良い方なので全然怖くなかったのだが、こういった場面では必ず武者震いが起こり手や頬が震える。

それをみて、「なにこいつびびっとんや」と一人が笑いながら胸ぐらをつかもうとした。

ケンヂは胸ぐらを捕まれる寸前に手を払い、相手の首を抱え込み腰を跳ね上げ首投をした。投げても首を離さず締め上げた・・・・相手は悲鳴を上げていた。

ケンヂは小学時代から『Sケン』という遊びをよくしていて、陣地内で格闘になった時、首を抱え込んで負けたことがなかった。

他の連中は手を出してこなかった。あきらかにみんないきなりの反撃に動揺していた。

勝ちを確信した。

その日はそれで終わった・・・

ケンヂは高揚して自分の勝利に酔っていたのかもしれない。

でも嫌な気分がまとわりついた。

暴力は暴力を呼ぶ。

その頃好きだったブルー・スリーの映画、『ドラゴンへの道』で学んでいたはずだった。

 

終わりではなく始まりだったということに気がついたのは翌日だった・・・

後ろから数人で羽交い絞めにされて殴られたり蹴られたりした。ケンヂが戦闘意欲をなくしても暴行は続いた。

その翌日は昼休憩に箒の柄で何度も殴られた。

イジメはどんどんエスカレートしていった・・・

 

家に帰る途中10人位にリンチにあっていたところを、近所の大学生に助けられた事があった。青年はカラテの有段者でケンヂにカラテをすすめた。

ケンヂは月謝を払えないからと言って断ったが、その日からたびたびその青年がカラテを教えてくれるようになった。簡単な基本と応急的な対処方だが役に立った。

 

ケンヂにとって一番の屈辱はその数ヵ月後に起こった。

授業が終わりクラブに行くために帰る準備をしていた。

クラスには5、6人の女子しかいなかった。後ろのドアが開き・・・連中が10人位入ってきた。いつものように羽交い絞めにされて殴られた。馬乗りになられ、箒の柄で首元を押さえられた。

こうなったら軽く押さえられているだけなのに身動きできない・・・息が出来なくなると力を緩めまた首を押さえた。必死に抵抗したが無理だった。その時ズボンのベルトに手が掛かるのを感じていた・・・

抵抗も出来ずズボンをパンツを脱がされ下半身を露出された。女の子達が悲鳴を上げてクラスから走って出て行った。散々下半身を笑われ、唾まで掛けられた。

ズボンとパンツは窓から投げ捨てられていた。連中の数人がクラスの外にいた女の子達を何人か呼んで来た。女の子達はケンヂをみてキャーキャーいって去っていった。騒ぎを聞きつけ、他の生徒たちも集まってきた。そんななかにMさんもいた・・・馬乗りになられたまま下半身を露わにしているケンヂと目があった。あわて目をそらし走り去った。

Mさんは職員室に行き先生を呼んで来た・・・

 

今まで喧嘩で泣いた事がなかったが、悔しさと恥ずかしさで 涙がでてきた。唇を噛み締めて堪えようとした・・・

 

下半身露出の一件以来、女子はケンヂを避けるようになった。目を合わさなくなった。Mさんですら話しはするものの中々目を合わさなかった。思春期の少年少女には、これ以上ない恥ずかしいことだったのだ。

 

ある日休憩時間、連中の横をケンヂが通っていた時下半身部分のことで茶化してきた。振り向きざまに連中のボスの鼻っぱしをおもいっきり殴った。

ボスは椅子に座ったまま後ろにもんどりうってひっくり返った。

鼻からは大量の血が流れた・・・

他の連中を睨んだ・・・

他の連中は手を出しては来なかった。

ボスを殴って、ケンヂは暴力が嫌いな事がようやくわかった。

怯えた顔を見るのは嫌だった。

自分の鼻のあたりが痛く感じた…

 

ケンヂはクラスで一人ぼっちになった。真面目な友だちも離れて行った。そのことの方が、イジメにあうより辛かった。

休憩時間はひたすら本を読んで過ごすようになった。

 

ボスの一件以来しばらくイジメは無かったが、丁度1週間後校舎裏に呼び出された。 

 

連中は14人いた。相手の一人が脅すためにポケットナイフをちらつかせていた。

数人が一斉に羽交い絞めにしようとケンヂに飛び掛った。

揉みくちゃになっている時、右腿に激痛が走った。

焼けるような痛さだった。「つ・・・」

もめてる時にケンヂの右腿に刺さったのだった。

みんなケンヂから離れて呆然としていた・・・学生ズボンの上から小さなナイフが刺さっていた。

激痛は一瞬でその後は思ったほど痛くなかった。

ケンヂはなぜだか落ち着いていた。武者震いも止まっていた。

皆をゆっくり見渡した。

「おまえら十数人でこんなことして楽しいの?カッコいいの?」

足に力を入れるとナイフがぽろりと落ちた。

誰も何も言わなかった。皆怯えていた。

「もうやめようよ・・・こんなこと」

刺した子は刺すつもりはなかったといい震えて泣き出した。

ボスがケンヂから視線をそらしたまま頷いた・・・

 

 

2センチほどの傷だったが、幸い刺さった場所が良かったのと深くなかったので大事には至らなかった。

 

保健室でケンヂは転んだ時ガラスの破片で切ったと言い病院に連れて行ってもらった。

傷を見てくれた先生は別に疑わなかった。

病院からもどると数人が謝りに来た。それ以降イジメはなくなった。

 

その日家に帰った、一歩間違えれば死んでいたかもしれないと言うことを考え震えた。

自分の今までの行動の浅さかさを反省しなければならなかった。

なんどもないて謝っていた『刺した子』を思い出していた。

彼も一歩間違えれば、若くして人生を台無しにするところだった。

 

ケンヂの怒りはいつも持続しない・・・

もう彼らを心の中で許していた。

 暴力を暴力で返さなかった。

 

皆、成長過程でどんどん変わっていく環境に適応しきれず、やりどころのない感情をトンガることにより外にぶつけているのだ。

ケンヂのこの時期特有のやるせ無い反発は、皆のそれとは違い内面におこっていた。

それを外に向けるのではなく内側に向け、出来ないこと、思うようにならないことを  どうしたらいいのか? それの対応策を考えることに向けた。沢山読んだ本からそのことは学んでいた。

世の中に希望や、自分の力に可能性をまだ夢見ることが出来たから出来ることだった。

 

 

イジメはなくなったがケンヂはしばらく一人ぼっちだった。みんな腫れ物に触れるような感じでしかケンヂに接しなかった。

休憩時間はぼんやり窓から外を眺めてすごし、昼休憩は屋上で本を読んで過ごした。放課後はカラテを教えてもらうことが多かったのでクラブは行かなくなっていた。

ある日昼休憩に屋上に上がると、クラスで『こんちゃん』と呼ばれている、病弱そうでしょっちゅう学校を休んでいた子がいた。ケンヂの身長は小学時代からいつも真ん中・・・中背だったが、こんちゃんはケンヂの肩くらいしかなく飛びぬけて背が低かった。顔はいつも青白く神経質そうにきょろきょろしている。

こんちゃんはぼんやりとフェンス越しに校庭を眺めていた。ケンヂが屋上に来たことに気がついた。

「よお」と声を掛けてみた。

「・・・」こんちゃんは声が小さくほとんど聞こえない。

おそらく返事をしたのだろうけど、ケンヂには聞こえなかった。

ケンヂはニッコリ笑い、いつものように座り本を読み始めた。

しばらくするとこんちゃんもケンヂの所にやってきて横に座った。

「ケンヂくん・・・ね・・・ぼく・・・・」こんちゃんが話し掛けて来たのだが、良く聞こえなかった。今までこんちゃんとは一言も言葉を交わした事がなかったので驚いた。

ケンヂは優しい声で「ごめん、聞こえなかった・・・・どうしたの?」と言った。

「ケンヂくんは強いね・・・ぼく・・・だめなんだ・・・皆が怖くて・・」

真っ赤な顔でそわそわしながら必死に声を出していた・・・

ケンヂと目があうと近ちゃんは目をそらしてしまう。

ケンヂは寝転がり空を見ながら

「こんちゃんもいじめられてるんだっけ・・・」

こんちゃんは何も返事をしないでケンヂと同じように寝転んだ。

 

こんちゃんはケンヂとは真反対の学区から通ってきていた。同じクラスの男子、『カツコ』と『バケ』とは小学校の時に何度か遊んだ事があるみたいだった。カツコとバケは仲が良く・・・と言うか他の子とはほとんど話したり遊んだりしない親友みたいだった。2人とも筋肉質で背がケンヂよりすこし高く、いつもプロレスのようなことをして暴れていたので、ツッパリ連中も近寄らなかった。

カツコの家は鮨屋をやっていて、お父さん譲りの鋭い眼光と精悍な顔つきで鷹をイメージした。カツコが睨むとツッパリのボスですら目をそらした。当時テレビで『噂の刑事トミーとマツ』というコメディドラマをやっていて、銃撃戦に怖気づくトミーに、「こんな事が怖くて刑事が出来るか! お前なんか男じゃない、女男で十分だ! おとこおんなのトミコ!」とマツ叫ぶといきなり国広富之演じるトミーがスーパーマンのようになり、悪党をやっつけるというドラマが人気だった。そのドラマの『トミコ』から『カツコ』という渾名になったそうだ。カツコよりガタイの良いバケでもいつも力でかはなわない。

バケは京橋川沿いのトタン屋根のバラック小屋に住んでいた。兄1人弟1人妹1人の4人兄弟の次男だった。原爆投下後36年たっても川沿いに並んでできたバラック小屋は、当時のままで、住民はみな貧しい生活を送っていた。時代から取り残され、国や県や市からも忘れ去られた町でガラの悪い連中も大勢いた。バケはキングコングのようなおっかない顔と体型だったが、貧乏を感じさせない明るさと悪い道には染まらないもちまえの愛嬌があった。『バケ』と言う渾名はその容姿と並外れたパワーから付いたらしかった。

 

授業中こんちゃんが発言した時に、不良連中がからかった事があった。翌日からこんちゃんは学校を休んだ・・・3日目の授業が終わった後、カツコとバケに声を掛けてみた。

「こんちゃんの見舞いに行こうと思うんだけど、家教えてくれない?」

それまで2人とはほとんど話したことがなかった。

2人とも見かけによらず優しい性格で

「おれ達も気になってたんだ。一緒に行くよ」と言ってくれた。

こんちゃんの家に向かう途中、馬鹿を言い合う2人の会話に次第に慣れてきて会話に入れるようになった。

こんちゃんの家に着き呼び鈴を何度か鳴らしたけど誰も出てこなかった。

バケが大きい声で「こんちゃーん」と叫ぶと、しばらくしてこんちゃんが玄関から顔を出した。相変わらず青白い顔だったが、元気そうに笑顔を見せた。

こんちゃんの家は母子家庭で日中母親は働きに出ていて、夜も遅くまで戻ってこない。こんちゃんは学校で嫌な事があったら、翌日学校に出かけた後、母親が仕事に行くのを待ち、家に戻ってずる休みしていたのだった。

明日学校に行くという約束と、日曜日に皆で釣りに行くという約束をしてその日は帰った。

それから4人は仲良くなり、休みには良く釣りに出かけた。学校でこんちゃんがいじめられると、カツコとバケが割って入った。

こんちゃんのいじめもこれでなくなった。ケンヂの考え通りだった。

ケンヂはカツコやバケのやるプロレスに混ざり馬鹿も言い合うけど、信頼感を持っていた。4人はとても仲が良くなった。

そのころ慰霊執行委員の集まりで顔を合わせるMさんともとどおりに普通に話せるようになっていた。ケンヂはあの時先生を呼んできてくれたことへのお礼を言った。

 

 

3人で釣りに行き小さな魚がつれると、鮨屋の息子のカツコが小さなナイフで器用に魚を捌きその場で刺身にして食べたりした。型の良い鯛やウニなどはカツコのお父さんにあげて小遣いをもらった。中学生には多過ぎる位もらった事もある。カツコのお父さんに寿司をご馳走してもらったこともある。

ケンヂは寿司屋で寿司を食べるのはその時が初めてで、以前読んだ志賀直哉の『小僧の神様』を思い出してその話をカツコのお父さんに話した。カツコのお父さんは「小僧寿しってチェーン店があるだろう、あれはその小説から名前をつけたんだよ」と教えてくれた。

「うちの子は前々本読まないからね、ケンヂくんを見習え」といい、皆で笑った。

 

バケの家に遊びに行く途中、ケンヂ達よそ者がバラックが立ち並ぶ町に入るとそこら中から視線を感じ恐ろしかった。町に入るところからは急いでバケの家に行った。廃材を掻き集めて作った家は、ケンヂ達には秘密基地のようで魅力的だった。雨が降るとトタンの屋根が大合唱を始め、部屋の数箇所にバケツやお皿やカンが置かれ、雨漏りを受け三重奏のようになった。夜雨が降ったら、家中雨漏りがする中、6人家族でどうやって寝ているのか不思議だった。

お母さんはいつも家にいてバケの2歳の妹をあやしていた。左手の袖口から手のクルブシまでケロイドがあった。9歳の時に家の中で被爆したらしかった。爆心地から半径1700m付近のこの辺りは、全焼してそこいら中に焼け焦げた死体があり、川も埋め尽くすくらいの死体が浮き、その死体のお腹に溜まったガスでお腹がはじける音と腐敗臭が今でも忘れられないとよく言っていた。バケのお母さんのお母さんや兄弟は皆原爆で亡くなったそうだ。戦後戦地から無事に戻ったお父さんが今の家を瓦礫を掻き集め作ったらしかった。

バケのお母さんはこんなバラックに遊びに来るケンヂやカツコ、こんちゃんをしだいに気に入った。弟たちを預けて買い物に行ったりもした。ケンヂは子供好きなので楽しい時間だった。

ケンヂはMさんと慰霊執行委員としてもバケのお母さんから話を聞いた。お母さんはいきなり上半身服を脱ぎ、左胸まで続くケロイドを見せた。ケンヂは目のやり場に困って下を向いた。Mさんも下を向いて真っ赤な顔をしていた。近くの比治山からアブラゼミの大合唱が聞こえていた・・・

「そんなんみせるなよ~かあちゃん」バケがあわてて言った。

「この子が一番このおっぱいを吸ってたんだよ」とお母さんは大きな右のおっぱいを持ち上げて大笑いした。

その夜はバケのお母さんのただれた左のおっぱいとやけに白い右のおっぱいとMさんのうつむいた顔が脳裏から離れ眠れなかった・・・

バケの明るさと愛嬌を尊敬した。

ケンヂは1年の時慰霊執行委員になって以来、原爆の夢を見て夜中汗だくで目を覚ますことが多く寝れない夜も多かった。

大好きだった夏や蝉の鳴き声は『死』のイメージを連想させるものに変わっていった。

 

 

夏休みに入り8月6日の慰霊祭の予行演習を慰霊執行委員と先生方で行った。

ジリジリ焼けるほど暑い日で校庭の地面の照り返しと下から蒸しあがってくる熱気でクラクラする中、皆で来賓用テントを張ったり、朝礼台を移したりした。準備が完了するといよいよ式の演習を始めた。

司会の挨拶の後、校長の挨拶・・・8時15分の黙祷・・・

段取り順に行事展開し、慰霊執行委員長のスピーチの時が来た。

ケンヂの隣からMさんの深い息が聞こえてきて横を向いた。

蒼白な顔色で汗をいっぱい浮かべていた。

Mさんは名前を呼ばれ、朝礼台に上がった・・・・

ケンヂも緊張していた。Mさんはマイク代に手を触れたあと深くお辞儀をした。

スピーチを書いた紙を広げて読み始めた・・・・

マイクのスイッチは入れてない。いつもはきはきしていたMさんの声はか細く震えていた。

Mさんでも緊張するよな・・・と思った。

Mさんは空ろな表情でスピーチを読み上げていた・・・いきなりMさんが膝から倒れこんだ。マイク代は下に落ち、あわてて先生が朝礼台に向かった。ケンヂも走ってMさんの元に向かった。Mさんの顔は真っ青で痙攣していた。

日射病だ!」先生はMさんをそっと抱え上げ保健室に向かった。

ケンヂは呆然とそれを眺めていた・・・

 

しばらく予行演習は中断し、ケンヂ達慰霊執行委員は体育館脇の木陰で休んだ。Mさんが心配だった。

20分位たち、教頭先生と10組の担任の先生が戻ってきた。

「Mさんは大丈夫だ。今保健室で休んでいます・・」

ケンヂはホッとした・・その時、教頭先生に名前を呼ばれた。

「明日の慰霊祭、Mさんのスピーチは無理なので副委員長、お願いしますね」

え?

ケンヂの頭の中は真っ白になった・・・

「え?え・急に、む、無理です・・・」

元担任の10組の先生が「大丈夫だ」と半ば強引にMさんの作ったスピーチの紙をケンジに手渡した。

どうしよう、どうしよう・・・まったく考えていなかった展開に動揺した。

 

急遽黙祷の後から予行演習を再開した。

いよいよスピーチの番が来た。

ケンヂは震えながら右手と右足が一緒に動くのであせりながら・・直し

朝礼台にたった。いつもと違う視界だ。明日はここに1000人以上の人が立っているわけだ・・・

Mさんがしたように深々と礼をし、スピーチの紙を広げた。

スピーチ文のすべての漢字には丸っこいMさんの字でルビがふってあった。

ちょっと緊張が解け、ケンヂは読み上げた。何度がミスもあったが

教頭が「上出来!明日頼むよ」といい、拍手が起こった。

 

帰る前に Mさんの具合を見に保健室に行った。

Mさんの顔に多少の赤みが戻っていたがまだ青ざめていた。

Mさんは「ケンヂくんごめんね。でもケンヂくんなら大丈夫。出来るよ」

と優しく笑い右の人差し指で左の手のひらに『の』の字を書き飲み込む仕草を数度した。ケンヂも笑った。

Mさんを見てケンヂは逃げ出したかった自分が恥ずかしくなった。

「やるっきゃないか・・」

 

翌日、8月6日、雨夜ふってくれ・・・と懇願していたが、雲ひとつ無いが蒸し暑い朝が待っていた。

式典の最初から体が震えていた。テレビ局の取材が来ていた。

自分の番になり名前を呼ばれた。

「・・・慰霊執行委員代表・・・・ケンヂくん」

『の』の字をわからないように飲み込み、立ち上がりその場で礼をして朝礼台に向かった。なんとか左右手足を間違えずに朝礼台にたどり着けた。

1000人以上の人が並ぶ前に立つことは想像以上だった。

テレビ局のカメラもこちらを向いていた。

バクバク打つ心臓音が皆に聞こえてないか心配だった。

震える手でスピーチの紙を広げ、読み上げた。

なんどもどもったが大きな声でゆっくりと読み上げる事ができた。

終わると力が抜け、倒れこみそうだった。

 ギラギラの太陽の元、ジージーうるさいほどの蝉の大合唱が鳴り響いていた。

 

 

ケンヂの父は会社を大きくして『総合卸センター』というところに新たに床面積300坪程の会社を建て、個人会社から株式会社に組織変更していた。

社員もパートを含め18人ほどいて儲かっていた。会社の近くに土地を購入しケンヂが中学1年の時からそこに家を建て始めていた。2年生の9月の終わりに完成予定で完成したら引越し、転校することになっていた。

学校の先生以外には話していなかったが、夏休みに入る前にMさん、こんちゃん、カツコ、バケの4人には知らせておいた。

皆がっかりした。Mさんは「皆引っ越していく」と涙を流した。

夏休みはお盆以外のほぼ毎日4人の誰かと遊んだ。

男子3人とは川でゴカイを捕り一晩海水に付けておき、それを餌に自転車で海に釣りに行った。フェリーで島に渡り釣りをしながら泳いだり楽しんだ。

島でバケが肥溜めに落ちたこともあった。

焼き芋を売りに来たおじさんがタダで芋くれたので、焼き芋売りの呼び込みをだったりしたこともあった。

Mさんとは比治山公園まで散歩したり、街中の中央図書館に一緒に行ったりした。図書館の帰り道に、いぜんした様に手をつないで『ドキドキ』しながら下を向いて帰ったりした。

 

沢山の出来事、思い出とともに夏は過ぎ去っていった・・・

別れを惜しむ友人やMさんと握手をしてお互いの今後の健闘と飛躍を誓い合い、ケンヂは引っ越した・・・また友人達に涙を見られてしまった・・・

 

 

新しい引越し先は埋立地に新しく出来た町で、まだ家がまばらにしか建っていなかった。

ケンヂの家から学校まで50m位しか離れていなかった。

転校先の学校は4年前に出来たばかりのまだ新しい学校だった。

クラスは6組までしかなく全校生徒数も前の中学の半分以下だった。

初めての転校だったので初日の自己紹介は緊張した。

 

新しい学校はぜんぜん荒れてなく、ツッパッている感じの生徒もクラスに男女1人ずつ位しか見当たらなかった。

 

自己紹介を終えて席に着くと前に座っていた女の子が振り返り

「わたし、ケンヂくんの家の裏の家のYだよ」と言った。

Yさんは真っ黒に日に焼けて活発そうな子だった。

 

朝礼が終わるとこのクラスで唯一髪をリーゼントにしている『ケニヤ』が親しげに話しかけてきた。

ケニヤはツッパった恰好はしているが、ケンヂより5~6センチは背が低く、痩せ型でとても迫力が無かった。

なんだか子供が髪型と制服だけ決めている感じで可愛らしく見えたが、

休憩が終わり席に戻る前に「なんか問題があったら、おれにいいな」と男気を見せて戻っていった。

 

初日の2時限目の数学の時間、いきなり抜き打ちのテストがあった。

ケンヂはこの学校の勉強の進度がわからなかったのであせったが、前の中学ですでに習っていたところだった。

数学は得意教科だったので出来てホッとした。

翌日の数学の時間、答案を返す前に先生が笑顔で言った。

「100点が2人います。1人はKくん、そしてもう1人は・・・転校して来たケンヂくん」

ケンヂは自信はあったが、100点とは思わなかった。

みんなが「おおー」と言い一斉にケンヂを見たので、照れて赤くなった。

 

その日の休憩時間に職員室に呼ばれた。

大勢の先生たちが集まってきていた。

「〇〇中で学力テスト3位の生徒が転校してくると言うから期待してたんだよ」と数学の先生が言った。

「君が〇〇ケンヂくんか」

多くの学年の先生が声を掛けてきたので、緊張しながら「たいしたこと無いです・・・まぐれです」と言って下を向いた。

やばいことに多くの先生に期待とプレッシャーを与えられ、新しい学校生活はスタートした。

 

ケンヂが心配の通り、社会と英語は前の学校より大分進んでいた。

前の学校は荒れていたので、授業を中断する事が多く、転校前に担任の先生も進度を心配してくれていた。

社会は鎌倉時代中期の『元寇』までしか習っていなかったのに『明治維新』まで進んでいた。

600年という年月が一夜にしてぶっ飛んでしまったのだ。

また社会の授業はとにかく何もしゃべらず黒板に先生が書いたことを皆、ノートに写すだけの写経のような授業だった。教科書すら開かない一番受けたくない授業だった。

そもそもケンヂは字が綺麗ではないのだが、先生が黒板に書くスピードが早く、ますます殴り書きのような字になってしまい、自ら後で読み返すのが困難だった。

もともと苦手だった英語は教科書も違い、教科書が届くまで隣の女の子に見せてもらいながら授業を受けた。

かなり進んでいて何をやってるのかさえわからなかった。

 

9月28日に転校し10月の最初の週に中間テストがあった。

兎に角社会と英語は散々だった・・・

数学100点、理科96点、国語90点、社会14点、英語22点

社会も英語も10段階で3の赤点がついていた。

以前の学校では評価が5段階で、どちらも4だったので成績はどうすることも出来ないくらい下がっていた。

 

また職員室に呼ばれた。

担任は進度の違いを理解し一言「かわいそうだったね。これからがんばれ」と言った。

簡単にがんばれというが、ケンヂはもともと授業が全てであり、家では試験前に復習で習ったとこをを読み返したり、間違えた問題をもう一度理解する位しか勉強をやらなかった。

問題集や参考書なんかも持っていなかった。

ましてや新しい学校で、皆の名前を覚えたり、孤立する前に友だちを作ることに必死だった。

もう孤立は嫌だった。

 

わからないのに受ける社会と英語の授業はまったく頭に入ってこなかった。

嫌いな先生の授業は受けるのすら嫌だった。

 

12月の期末テストは赤点はやっとのことまのがれて社会4、英語5だった・・

テストの総合ではクラス順位で3番だった。

数学、理科、国語の貯金のおかげだった。

倍以上の生徒数の学校で学年3位だったのに、半分の人数でクラス3位にまで成績が下がっていた。

 

 

 

最初に出来た友達は『中くん』と『木野くん』だった。ケンジの家は新しく出来た学区であり、近所には転校してきた子や集合住宅に住んでいた数人の子しかいなかった。

他の小学校の学区から通っている生徒がほとんどで皆1キロ以上離れた山の上に住んでいた。

中くんは歩いて10分位の集合住宅に住んでいた。

木野くんは山の端っこのふもとに住んでいて、歩いて30分位掛かった。

 

最初以前テニス部だったので、テニス部だった中くんから誘われた。

ケンヂはもう随分テニスをしていなかったし、クラブ活動も後半年ちょっとしかないし、武道系のクラブも無かったので体育会系クラブには入らず、木野くんの誘いに乗り、美術部と放送部に掛け持ちで入ることにした。

絵を描くのは小学生の頃まんが家志望だったので好きだったし、放送部は全体朝礼の時に放送室にいてサボれるので楽だったからだ。

中くんは放課後クラブで遊べなかった。美術部は自由参加のようなクラブだったのでたまに参加して、放課後はほとんど木野くんと遊んだ。

中くんは木野くんのことを自分より下に見下していたので、この2人は性格がぜんぜん合わなかった。

中くんも木野くんもケンヂより背が低くガリガリに痩せていた。

中くんは真面目で短気で神経質な性格。自分の意見は曲げない性格だった。

木野くんは人当たりは柔らかいが、気は強くええかっこしだった。なかなかハンサムでその頃はやっていたポップスバンド、『チェッカーズ』の藤井フミヤの髪型をまねていて、いつも目に入りそうな前髪の髪先をいじっていた。

その髪形のせいかよく他校の生徒に絡まれていた。

ケンカは弱く、ケンヂはたまにカラテの基本や相手の攻撃の捌き方を教えてあげた。

その頃の話題はもっぱら、ブルース・リージャッキー・チェンの映画の話であったり、クラスの女の子の話やエッチな話しだった。

ケンヂはうぶで、当時女の子のことを何も知らなかったので興味深深で木野くんの話を聞いたりエッチな本を見せてもらったりした。

学校での性教育も前の学校ではまだやってなく、新しい学校では終わっていたのだった。

 

しばらくして木野くんと仲が良かった『益井くん』と仲良くなった。

益井くんは将来ボクサーになりたいといって、いつも自己流のシャドーボクシングをしていた。

益井くんのお父さんはカラテ三段で、家にサウンドバックが吊るしてあった。

ケンヂと木野くんはよく益井くんの家に行き、サウンドバックを叩かせて貰った。

昼休憩や放課後、益井くんの持ってきたボクシンググローブをつけて、カラテ対ボクシングの軽いスパーリングをやった。

ボクシング特有のフットワークの方法や、カラテと違うパンチの出し方に慣れるまでは結構パンチをもらったが、動きを益井くんからすぐに盗んだ。

ボクシングの動きを体で覚えた後は、益井くんはケンジの敵ではなくなった。

木野くんは体が柔らかく、何をしないでも180度開脚が出来、蹴り方を教えるとすぐに上手になった。ただ蹴りに頼りすぎるのとパワーが無いので相手にならない。すぐにスパーリングには参加しなくなった。

 

少年たちのその頃は女の子が綺麗でありたいと思うのと同じで、多くの男の子は強くなりたいと思っていた。

毎朝10キロ以上走り、軽い筋トレも始めた。

その当時のケンヂの部屋には『ブルース・リー』のポスターとその頃テレビで映画を見て一目ぼれした『ソフィーマルソー』の大きなポスターが貼ってあった。

 

 

 

その頃、木野くんのお母さんが、脳卒中で亡くなった。

亡くなる前の晩、木野くんとお母さんはケンカしていて、木野くんが「お前なんか死ね!」とお母さんに悪態をついたら、翌朝冷たくなっていたそうだった・・・

木野くんは立ち直れない位落ち込んでいた。

後悔しても間に合わない事もある。

後悔した後でないと気づかない事もある。

ケンヂがいくら慰めても何も受付なかった・・・

時間しか解決出来ないのかもしれないと思った・・・

 

 

 

 

中2の冬休みに小学校時代からの友だち、オッカンが家に泊まりに来た。以前住んでいた辺りに、『極真カラテ』の道場が出来、オッカンは中2の初めから通っていた。

極真カラテはマンガやアニメの『空手バカ一代』や『アントニオ猪木』と異種格闘技戦をした『熊殺しのウイリー』の『ウイリー・ウイリアムス』のやっている実践カラテの流派でケンヂたちの憧れの流派だった。

オッカンはカラテを習い強くなっていて、ケンヂを何度も誘った。

 

 

 

 

中学3年になるとクラス替えで中くん、木野くん、益井くんとは違うクラスになった。木野くんとは部活で一緒だった。

少しだけ元気になっていた。

 

他のクラスから3年の時に美術部に入ってきた『ダッピくん』と仲良くなった。ダッピくんは繊細なタッチの絵を描き、明らかにケンヂより上手だった。

彼も格闘技好きで、話があった。

 

 

 

 

どうしても極真カラテを習いに行きたかったが、(兄は3000円小遣いを貰っていたが)相変わらず小遣いを貰っていなかったケンヂは親に相談した。

「習いたいのならアルバイトをしろ。ただし学校の成績は落とすな」と即答で条件付で帰ってきた。

すぐにケンヂは朝刊の新聞配達を始めた。

学校ではアルバイトはもちろん禁止だったが、ケンヂの親は学生の頃からの社会経験は悪い事ではないという考えだった。

中3からアルバイトを始めるなんて普通ではありえないことだったが、『勉強の出来る兄と勉強の出来ない弟』という家庭内での図式、ケンヂは見限られていたし、自分の会社の跡取にするつもりの長男と違い、今後自分で社会に出て生きていかなければならない次男に何も期待していなかったからだった。

こういった家庭内での差別はずっと前、小学校の頃から一つも変わらなかった。

 

朝3時半に起き、4時から1時間新聞配達をした。同じクラスの『ガバくん』も同じ営業所で新聞を配っていた。

ガバくんは5人兄弟の長男で新聞奨学生の制度を使い自分の学費を出して家計負担を軽くしていたのだ。

がんばるガバくんをみて奮起した。

 

一日も休まず、雨の日も雪の日も自転車で猛スピードで駆け抜け、山丸ごと一山分、坂道を配って回った。

ガバくんが足を捻挫した時は、一週間ガバくんの配達分も他の人と半分ずつ引き受けた。ケンヂは一番キツイ山の配達だったが、一番早く配り終えて営業所に戻っていたので、他の人が欠勤の時なんかも引き受けて配った。いつも所長には感謝されていて、御礼の電話を親にしてくれたり、給料もはずんで貰った。

配り終わるといつも出してくれるコーヒーと御菓子を食べて、タダでくれる新聞を1部貰い家に帰った。

 

最初の給料日の翌日、極真カラテの道場に1人で入門に行った。

道着代と月謝を払いあまったお金は本代や映画代に使うことにした。

道場までの18キロの道のりを週三回自転車で通った。

稽古は18時から20時までだった。稽古が終わり家に帰ると21時前だった。風呂に入り、夕食を食べると22時位だった。

成績を落とさないという条件を守るため、参考書や問題集を持っていないケンヂは、兄が中学時代からやっていた通信教育の『進研ゼミ』のテキストを貰った。兄は中学1年から高校2年まで、進研ゼミの全国模擬試験や、学校で受けに行く全国模擬試験でかなりの確率で1位という成績だった。

テキストには兄が書いた答えや式が書いてあったので中学1年のテキストを本を読むように読んでいくことにした。

わからなかったところや間違えたところは赤ペンでしるしをつけ、1か月分終わったあとにもう一度解いてみた。

1年分終わったら、1ヶ月分終わったあと間違えたところをもう一度勉強し、2年生の教材に入った。

勉強時間はカラテのない日は20時から24時まで、カラテのある日は22時から24時まで頑張った。

土曜日の午後は友だちと遊び、日曜日は勉強はしないで遊んだり本を読んだり、映画を1人で見に行ったりして息抜きをした。

勉強は小さい音でラジオを聴きながらのナガラ勉強だった。ケンヂには静まり返った部屋での勉強より向いていたのだった。

睡眠時間はこの頃から3時間だった。たまに勉強をしながら、疲れて寝てしまうこともあったけど受験までこの生活を続けた。

 

夏休みは午前中は勉強をして午後は本を読んだり映画を見に行ったりした。映画館のある市内中心部までは10キロちょっとあったけど、自転車でいった。

 

 

 

 

夏休みの暑い日、自転車で映画館に向かう途中、車道に血がついているのが見えた。

まだ血は乾いてなかったので、なんだろう?と思い辺りを見回したら歩道の脇に背中の羽の部分が真っ赤に染まっている鳩がいた。

鳩はまだ生きていて逃げようとしたのでケンヂはバタついて怪我が酷くならないように優しく抱え込み傷口を見てみた。

右の羽の付け根の辺りを怪我しているようだった。

ケンヂは映画のチケットも買っていてもうバイト代も底を付いていたのでどうしていいのかわからずに家につれて帰った。

鳩を抱えたまま自転車では帰れないので、自転車はその場に置いたままで2キロ程の道を走って帰った。

家に帰ると兄がいたので相談した。

汗だくで訴えるケンヂと鳩をみて「とりあえず動物病院を探そう」と言い、電話帳で近くの病院を探してくれた。

自転車で5キロ程の所にある病院に電話を掛けてみた。

ケンヂは鳩がかわいそうで、涙声になりながら先生に事情を話した。

「見ないことにはわからないから病院に連れてきなさい。程度が軽い場合や見るだけならお金はいらないから」と言ってくれた。「治療にお金が必要な時はその時に教えてあげる」というので連れて行くことにした。

ケンヂはケンカでは滅多に泣かなかったが、涙腺が弱く、悲しい出来事があったり、悲しい映画やテレビドラマを見たりしたらすぐにボロボロ泣いてしまう・・・

「どうしても鳩を助けてあげたい」と、泣きながらいつもは頭を下げない兄に頭を下げお願いをした。

兄はすこし考えて「お年玉で貯金してないお金が1万円あるから、1万円以内で済む様なら貸してあげる。」と言ってくれた。

「その代わり分割でいいから返せよ・・・」と付け加えた。

いつもならこの言葉にケンヂはカチンと来たのだろうが、このときだけはそれでも真底、兄の行為に感謝して涙が止まらなくなった・・・

兄は包帯で羽をバタつかせないようにグルグル巻きにして箱にタオルを敷き、鳩を入れて蓋を閉じた。

兄は自分の自転車にケンヂを乗せたことはなかったが、この時だけは2人乗りでケンヂが自転車を置いていた場所まで連れて行ってくれ、病院にも一緒に着いて来てくれた。

 

先生はすぐに診察して下さり、涙で真っ赤な目のケンヂと一緒にいる兄に、鳩の羽の部分を広げ付け根の部分を見せた。

「右の羽の付け根の筋繊維が割けているんだ。ここまで割けているとつなぎ合わせられないし治療する事ができないんだ。本当に可愛そうで助けてあげたいんだけど、傷が酷すぎて出来ないんだよ・・・」と優しい声で諭すように話した。

ケンヂは絶望の中、また涙がこぼれ始めた・・・

「君は優しい子だね。この鳩は恐らく長くは生きれないと思うけど、ひょっとしたら長生きするかもしれない。運命と同じだよ。きっと君たちの事を感謝してると思うよ」と言ってくれた。

 

ケンヂ達は病院を出て、どうするか相談した。

ケンヂは「どうせ死ぬのなら、仲間がいるところに連れて行ってあげたい」と兄にいい、鳩が沢山いるし餌も自分では取れないだろうから、餌をもらえる平和公園に連れて行ってあげることにした。

平和公園までの道のり、2人は黙ったままゆっくり自転車を走らせた。

5キロ程先の平和公園に着くまで涙が止まらなかった。

 

平和公園に着くと何百羽もの鳩がいた。

ケンヂは鳩の包帯をはずし、そっと逃がした・・・

「元気で生きろよ・・・」

ひょっとしたら長く生きるかも・・・と言う先生の言葉を信じたかった。

その時だった・・・よろけながら歩く鳩めがけ、大勢の鳩が群がって爪やクチバシで攻撃し始めたのだった。

ケンヂ達は呆気に取られたが、あわてて近寄り、他の鳩を遠ざけた・・・

が遅すぎた・・・

怪我をしている鳩は体のあちこちから血を流し、血まみれになっていた・・・

ケンヂは泣きながら鳩を抱え芝生の上に座った。

1時間位ケンヂと兄は鳩が完全に動かなくなるまで見ていた。

涙は止まらなかった。兄も泣いていた・・・

そんな兄弟を見て、鳩に餌をあげていたおじさんが声を掛けてきた。

事情を話すと

「鳩は平和の象徴のように言われているけど、本来好戦的な鳥なんだよ。よそ者が来たら攻撃するんだよ」とゆっくりと諭すように言った。

ケンヂ達は勝手に鳩のキモチを考え判断し、その結果鳩を殺してしまったのだった。

自分の浅さかさと知識の無さに嫌気がさした・・・

ケンヂ達は動かなくなった鳩を平和公園内の脇の方で、手で穴を掘り埋めてあげた。爪から血が出てきてたけど、心の方が痛かった。

泣きながら鳩に謝った・・・

 

無言で2人は家に帰った・・・

この日から、兄が高校を卒業して県外の大学に行くために家を出るまで、喧嘩することは無かった。

鳩を殺してしまったけど、この時は本当に兄には感謝していたんだ・・・

 

 

 

 

季節は変わり、受験のシーズンがやって来た。

当時の広島県の受験制度は、国立高校は別として、公立高校1校、私立校は受験日が2回に振り分けられていて、2校しか受けることが出来なかった。ケンヂは兄やオッカンたちの国立高校と、公立は親の勧めで受ける気がしなかった商業高校、私立は中堅の2校を受験した。

国立高校は落ち、公立と私立2校には合格した。商業高校では大学受験が難しいし、行く気がないと親を説得して、特待生で合格した私立高校に行くことになった。特待生といっても2番手で1番手の全額授業料免除ではなく、半額負担だったが公立高校より安かった。1番手の子が入学しなければ全額負担の権利は貰えるらしかった・・・が一番手の子はその権利を行使した・・・

 

 

 

 

中学時代のターニングポイントは、受験の後あっという間に訪れた。

受験が終わった日、突然、今までと違う世界が前に広がっている気がした。

其処からはいつものように目まぐるしく早い刻が流れた・・・

今回のターニングポイントの後の短い期間で、ちょっとだけ大人になった気がした・・・沢山の楽しい思い出、辛かった思い出、甘酸っぱい思い出

・・・傷をしっかり胸に刻み込み、少年の日に別れを告げた・・・

 

 

 

青年時代の始まりを告げる高校の入学式の後、クラスわけがあり、その後特待生の2人は職員室呼ばれた。3番手まで免除の権利があったのだが、3番手の子はこの学校には進学しなかったようだった。特待生の説明と家で書き込む用紙の入った袋を貰った。

職員室で会った特待1番の子は、なんと驚いたことに中学時代の同級生の貧乏な肉屋の息子、アキラくんだった・・・

            

 

 

ケンヂの波乱万丈な少年時代は終わりの時を迎え、ケンヂは青年になっていった・・・・

 

 

                              (少年時代  完)